青木光一の「柿の木坂は駅まで三里〜♪」で有名な石本美由紀作詞「柿の木坂の家」
柿の木坂は、目黒の柿の木坂?
個人的なことだけど、この「柿の木坂の家」は子供の頃、昭和の懐かしの歌謡曲だったか、そんな番組で初めて聞いた。
「柿の木坂は駅まで三里〜♪」
のフレーズだけが頭から離れられなかった。
生まれも育ちも学びも仕事もずっと東京の博学な叔父に「あの歌に出てくる柿の木坂ってどこ?」って聞くと
「目黒にある坂だろ」と言う。
確かに、目黒に「柿の木坂」という地名はある。
もう少し大きくなって中学くらいになった頃、地図を見ていて違和感を感じた。
「駅まで三里」のはずだが、少し離れたJR目黒駅まででも直線で3kmほど、とうてい三里ではない。
「駅まで三里」の駅はどこだろう?と、ずっと思っていた。
「柿の木坂」のモデルは、広島県廿日市市にあった
そんな疑問をずっと持ち続けていたある日、広島の方から「柿の木坂の家」に出てくる柿の木坂のモデルは、広島にあると聞いた。
正直驚いた。
柿の木坂は目黒で、「駅まで三里」の駅は目黒周辺のどこか?とずっと思っていたから。
なんでも、「柿の木坂の家」を作詞した作詞家の石本美由紀氏が亡くなったあと、広島の地方紙 中国新聞に、柿の木坂についての記事が出ていたそうだ。
それによると柿の木坂のモデルになったとされる坂は、廿日市市の明石峠付近の坂とか。
これまた二重のびっくり。個人的なことだけど、明石峠はちょくちょく通っていたからだ。
たしかに明石峠から廿日市駅までは、今の道のりで10キロ弱。
一里は3.9kmなので、昔はもっと道が整備されていなかったと考えると、ちょうど「駅から三里」にもあてはまる。
(現在、明石峠の最寄りの駅はJR宮内串戸駅だが、この駅の開業は1988年と最近)
「柿の木坂の家」の歌に出てくる「柿の木坂」は東京の目黒と思っている東京人は、意外と多いのではないかな。
明石峠
明石峠は、廿日市市街から県道30号を山沿いに登って行った峠。
県道30号線は江戸時代、津和野藩が参勤交代で使用していた津和野街道。
歌には「柿の木坂で遊んだ昔」とあるが、現在は交通量も多く、とうていこの坂では遊べない。
廿日市市街地からのぼっていくと、峠の左側に石碑があった。
「明石峠 汐見峠」と彫られている。
他にも近くに「従是東宮内村」と彫られてあった。
以前は、この峠が村の境だったようだ。
旧宮内村(廿日市側)からのぼっていくと「明石峠」
反対の、佐伯郡(内陸)からのぼっていくと「汐見峠」
汐見峠というだけあり、瀬戸内海がよくみわたせる。
対岸に見えるのは、似島、江田島、呉界隈のようです。
柿の木を、峠付近で探したものの見当たらなかったが、廿日市側の峠のふもとには柿の木があった。