夢見る旅路

江戸東京発今昔物語

歴史探訪、名所、読書録、カメラ、日用品などの雑記帳、備忘録。

この世界の片隅にを歩く1 広島江波港から中島本町、相生橋まで

こうの史代さんの漫画(以下、原作)で、アニメ映画(以下、アニメ版)にもなった「この世界の片隅に」の舞台となった場所を歩いてきました。

 

この世界の片隅に [Blu-ray]

この世界の片隅に [Blu-ray]

 

 

まずは、広島市南方に位置する江波から。

  

江波港(原作、アニメ版:風呂敷包みを背負わされるシーン)

原作、アニメ共に、まだ幼いすずが海苔の入った風呂敷包みを母から背負わされるシーンから始まる。

f:id:odekakeiku:20180524121108j:plain

すずさんが風呂敷包みを背負わされる場面は、江波港

江戸時代、半農半漁の港町として栄えていた。大きな貿易港とする計画もあったが廃藩置県でその計画もなくり、埋め立てが進み市街地化していった。

アニメ版では、海苔が干されている道がカーブし、その先に小高い山が見える。その小高い山は、作中幾度も登場する江波山

江波山には、被爆建物の江波山気象館が現存。

 

江波での海苔の養殖

f:id:odekakeiku:20180529152703j:plain

ちなみに、どのシーンか少しでも解ってもらえるように絵を描いたけど、下手すぎて落ち込みました。もう描きません。でもせっかく描いたので、これだけは載せます。。。

 

すずさん家の家業は、海苔の生産。

豊かな養分を含んだ太田川の流水に恵まれ、広島湾では牡蠣と海苔の養殖が有名。

かつて広島の海苔は、江波を中心に生産されていて、海苔を乾燥させるために干す風景は冬の風物となっていたそうです。

その後、江波から先の海も埋め立てられ工業地化され、江波での海苔の生産は姿を消しました。

  

住吉橋(アニメ版:ガマ口の小銭を数えるシーン)

すずさんは、江波港から本川沿いの道を広島方面へ歩いていると、砂利船の船頭さんに声をかけられ、中島本町近くまで乗せてもらう。

f:id:odekakeiku:20180524125626j:plain

砂利船の中で

すず「ほいで海苔を届けたら、兄と妹にお土産を買うて帰るのです・・・」

と言ってガマ口からお金を出して数えるシーン。

すずさんを乗せた砂利船がくぐるコンクリートの橋は「住吉橋」

住吉橋は、明治に架けられた時は木の橋だったが、大正に鉄筋コンクリートの橋となる。被爆するも落橋はまぬがれたが、終戦後すぐにあった台風で落橋。

現在のアーチ橋は、昭和29年に架けられた。

住吉橋の名前の由来は、橋のたもと東側上流にある住吉神社(画像左端)から。

 

f:id:odekakeiku:20180524130604j:plain

住吉橋の少し上流にある、新住吉橋より住吉橋を撮影。

下流の江波港方面に見える三角山は、似島の安芸小富士。

 

森永食糧工業広島支店付近(アニメ版:すずさん上陸地点)

f:id:odekakeiku:20180524164606j:plain

画像の左の橋は本川橋。対岸が現在の平和記念公園。

アニメ版に出てくる「森永ミルクチョコレート」の看板のある建物、森永食糧工業(現在の森永製菓)広島支店はこのあたりにあったらしい。

森永の建物の前にカキ船が描かれているが、当時もカキ運搬船を改造したかき舟で、カキ料理を楽しんでいたらしい。

 

f:id:odekakeiku:20180530151809j:plain

川岸の石段はが雁木(がんぎ)。三角州の広島は江戸時代より水運が発達していた。川から物や人を陸上にあげるための階段、雁木が今でも各所に残っている。

 

中島本通り(原作、アニメ版:商店街を歩くシーン)

f:id:odekakeiku:20180525155638j:plain

現在の本川橋から東側、平和記念公園方面を撮影。

すずさんが商店街を歩く(看板を持ったサンタクロースが鐘を鳴らして飛び跳ねている)シーン。 

 当時も、すずらん灯が設置され道路も舗装されていた。商店街は本川橋東詰よりはじまり、元安橋、本通り、新天地に続く通りは広島の中で最も賑わっていた。

 

駄菓子屋のヒコーキ堂界隈

f:id:odekakeiku:20180525162030j:plain

すず「チョコレート10銭、キャラメル大箱10銭、小箱5銭、ヨーヨーは10銭・・・」

現在「原爆の子の像」の通りをはさんだ向かいの西側に、駄菓子のヒコーキ堂があったと推定される。

 

 

大正屋呉服店(アニメ版:すずさんが窓辺にもたれているシーン)

f:id:odekakeiku:20180525163523j:plain

すずさんが道に迷い、途方に暮れて窓辺にたたずんでるシーン。

1929年(昭和4年)に大正屋呉服店として完成。鉄筋コンクリートのモダンな呉服店で、当時の呉服店としては珍しく履物をはいたまま上がれるようになっていた。

 

戦争が激化し1943年12月の繊維統制令で呉服店は閉店。1944年には県燃料配給統制組合に買収される。

 

f:id:odekakeiku:20180525163525j:plain

被爆するも現存。地下室にたまたま書類を取りに行った1人を除いて、全員が犠牲になった。

その生き残った方が体験記を残している。

原爆体験記 (朝日選書 42)

原爆体験記 (朝日選書 42)

  • 作者: 広島市原爆体験記刊行会
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1975/07/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 2人 クリック: 2回
  • この商品を含むブログを見る
 

 この建物は、つい最近までレストハウスとして使用されていたけど、行った時は改装工事中でした。

 

f:id:odekakeiku:20180914224838j:plain

こんなものまでありました。「迷子になったすずさんが、レストハウスに描いた落書き」だそうですw 

 

相生橋(原作、アニメ版:化け物を眠らせて周作と別れるシーン)

f:id:odekakeiku:20180525170817j:plain

現在はT字型の相生橋。

原作でもアニメ版でも、橋が二重になっているのは、1939年まではH字型の橋がかかっていたから。

 

f:id:odekakeiku:20180525170821j:plain

アニメ版では路面電車が2人の後ろを走り過ぎるが、現在も、相生橋の上を路面電車が走る。 

市街地の中心にある相生橋は、原爆の投下目標にされたといわれている。

実際の爆心地は、相生橋東詰から150mほど離れた島病院。

 

 

被爆前の中島本町をリアルに知っていた義祖父曰く「モダンなカフェーや色々なお店があり、それはそれは賑わっていて行くだけでも楽しくなった」と。

教師をしていた義祖父も原爆投下後直後、教え子を探しに広島市内を探し回ったという。

原作、アニメ版共に、この中島本町界隈のシーンは個人的にもとても印象に残るシーンでした。 

www.tabijiphoto.com

www.tabijiphoto.com

www.tabijiphoto.com

   

参考資料

「この世界の片隅に 上」こうの史代著 双葉社

「この世界の片隅に 廣島 昭和8年 中島本町ロケ地MAP」広島フィルム、呉地域フィルムコミッション発行

「この世界の片隅に 劇場アニメ絵コンテ集 」双葉社

「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島市

「図説広島市史」広島市公文書館

「目で見る 広島市の100年」郷土出版社
「写真アルバム 広島市の昭和」樹林舎
「広島、1945」南々社
「原爆が消した廣島」田邊雅章著 文藝春秋

「原爆体験記」広島原爆体験記刊行会 朝日選書42

 撮影機器:オリンパス OM-D E-M10 Mark III ,M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に [Blu-ray]

この世界の片隅に [Blu-ray]