「この世界の片隅にを歩く」も、今回で10回めとなりました(長々とすみません;)。
今回も、呉観光協会発行の
「まちあるきガイドブック すずさんが暮らした呉」より
今回は「コース2 すずさんと晴美さんが歩いた道」を歩きます。
呉駅〜旧下士官集会所
スタートは、呉駅。
物語でも、径子さんと晴美さんが下関へ向かうために切符を購入するのですが、長蛇の列で時間がかかるため、すずさんは晴美さんを連れて、お父さんの入院している海軍病院へお見舞いに行くことになりました。
現在の呉駅の駅舎は、1981年に建てられた4代目です。
旧下士官集会所(青山クラブ)
映画のアニメ版では、すずさんと晴美さんが、旧下士官集会所の前に立っている門衛の前を通ります。
そして、下士官集会所と練兵所(画像右側、現入船公園)の間の坂道を歩いて行きます。この坂道の突き当たりに、海軍病院がありました。
旧海軍病院
広工廠の空襲で重傷を負ったお父さんが、収容されたいた海軍病院。戦後は国立病院となり、今は国立病院機構呉医療センター。
原作の漫画と映画のアニメ版で、すずさんと晴美さんがのぼっていた海軍病院の階段が今でも残っています。
昔来た時はこの階段は普通に通れたような気がしましたが、現在この階段は通行禁止。滑落の危険があるためと、海軍病院時代の遺産として保存するためのようです。
晴美さんと歩いた道
お父さんのお見舞いを終えると、
晴美「なんの船が居りんさったかお兄さんに教えてあげるん」
と、2人は船が見えそうな高台の道を歩いて行きます。
呉医療センター(旧海軍病院)横の坂道。
右側は、周作さんが録事(書記官)として勤めていた軍法会議跡。今は、海上自衛隊の宿舎。
※当時、この坂道だけは、なかったようです。
坂道を歩いて行くと、旧呉鎮守府庁舎(現海上自衛隊呉地方総監部庁舎)が見えました。
宮原4丁目界隈。このあたりで、すずさんと晴美さんは空襲に遭い、防空壕に避難することになりますが、当時とは道の形も一部異なり、作中でも詳細な描写もなく場所は不明です。
歴史の見える丘
このコースの終着点「歴史の見える丘」。
歴史の見える丘からのびる歩道橋の上からは、ドックと呉港が一望できます。
旧呉海軍工廠造船船渠建屋
屋根のついた所が、戦艦大和を建造したドックがあった所。大和を造船する際に目隠しを兼ねて設置された屋根は現存。ドック自体は平成4年に埋め立てられ、今は現存しません。
造船船渠記念碑
平成4年に戦艦大和が作られたドックは埋め立てられますが、そのドックの一部を移設した石材の一部が歴史の見える丘に置かれていました。
噫戦艦大和之塔(ああせんかんやまとのとう)
戦後の日本が造船をはじめ各種製造業において世界をリードしてきたのは、戦艦大和などの艦船の設計や製造の技術が、戦後各種分野へと生かされ継承され続けてきたというのもあります。
碑文に「大和は沈んでもその技術は沈まなかった」とあり、平和を念願しつつ先人苦心の業績をたたえ、大和悲壮な最期を偲び、後の世の人々に建塔の由来を伝えたいとありました。
子規句碑
「呉港 呉かあらぬ 春の裾山 灯をともす 子規」
1895年(明治28年)正岡子規は、友人である海軍従軍記者の小嶋一雄氏を見送るため呉に来て句を詠んでいました。
1895年の日清戦争の時の事ですから、すずさんと晴美さんが歩いていた1945年(昭和20年)のちょうど50年前の事です。
参考図書:「呉・江田島・広島戦争戦跡ガイドブック」奥本剛著 潮書房光人社 他