今回は鬼平犯科帳 「本所・桜屋敷」界隈を歩きます。
本所歩きは、というより鬼平関連の散歩には、江戸の切絵図を持って行かれることを強くおすすめします。
「本所・桜屋敷」の冒頭より
幅二十間の本所・横川にかかる法恩寺橋をわたりきった長谷川平蔵は、編笠のふちをあげ、ふかい感懐をもってあたりを見まわした。
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(1)』「本所・桜屋敷」P51
今でも、かつての横川、現在の大横川親水公園にかかる法恩寺橋がある。
相模の彦十
後ほど、長谷川平蔵はこの法恩寺橋を渡り西に進んだところで、昔馴染みで密偵として活躍する相模の彦十と再開する。
ほど近くの墨田区亀沢四丁目こども広場には、「相模の彦十の家」と題された鬼平情景の高札が設置されていた。
平蔵は、彦十を二ツ目橋の軍鶏鍋屋〔五鉄〕へ連れて行き熱い酒を飲ませて話を聞く。
長谷川平蔵の旧邸
本所には、彼の〔青春〕がある。
亡き父・長谷川宣雄にしたがい、父が町奉行となった京都へおもむくまで、長谷川家は本所・三ツ目に屋敷があった。
<中略>
横川河岸・入江町の鐘楼の前が、むかしの長谷川邸で・・・
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(1)』「本所・桜屋敷」P54
切絵図にも、入江町の鐘楼の前に「長谷川」という字が見える。
実際に長谷川平蔵の旧邸として使われていたのか、はたまた著者が「長谷川」という字を見つけて、長谷川平蔵の旧邸としたのか。
史実とされる、 墨田区教育委員会が設置した「長谷川平蔵住居跡」の碑は、都営地下鉄新宿線の菊川駅近くにある。
もしかしたら、菊川では本所というイメージがあまり湧かないので、もっと北にある入江町に設定したのかもしれない。
この切絵図の鐘楼の前の「長谷川」のあたりに行くと、ローソン緑四丁目店があり
ここにも「長谷川平蔵の旧邸」と書かれた高札が設置されていた。
若き日の平蔵は、義母からいじめられ、よく屋敷を飛び出し本所・深川を根城に「入江町の銕」と呼ばれていたという。
高杉銀平道場と出村の桜屋敷
原作では、平蔵が追っていた小川、梅吉を見つけるべく、入江町の旧邸から、法恩寺方面へと足を進め、藁屋根の小さな門の廃墟に入る。
この百姓家を改造した道場で、若き日の平蔵は剣術をまなんだものだ。
<中略>
庭の北面は、武家屋敷の土塀によってさえぎられてい、その土塀から、このあたりにもめずらしい数本の山桜の老樹が枯枝をつらねていた。
春。この山桜の花片が風に乗って、平蔵たちが汗みずくになって稽古をしている高杉道場へ、窓から吹き込んできたものである。
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(1)』「本所・桜屋敷」P55-P56
法恩寺から大横川親水公園へと向かう途中に、鬼平情景「高杉銀平道場」の高札が設置されていた。
原作とTVドラマ版を参考に見ていたせいか、もっと横川沿いに高杉道場があったであろうと予想していた。
切絵図を見ると法恩寺うらの本法寺のすぐ横に「百姓地」が見える。通りが本法寺側にあったようなので、やはりこの高札の場所はだいたいあっているのかもしれない(まぁ、物語はフィクションだけれど)。
そしてすぐ隣が、桜屋敷。
この道場跡地で、平蔵は若き頃の剣友、岸井左馬之介と再開する。
紅葉橋から大横川親水公園へと下る坂の途中に、鬼平情景「出村の桜屋敷」の高札があった。
「御門人のかたがたに、これをさしあげるよう、祖父から申しつかりました」
さわやかな口上と共に、下男がうったばかりの蕎麦切と冷酒を下女にはこばせつつ道場へあらわれた十八歳のふさの、
「まるで、むきたての茹玉子のような・・・・・・」
と、高杉先生が評した・・・・・・
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(1)』「本所・桜屋敷」P56
若き日の長谷川平蔵と岸井左馬之介は、ともに「おふさ」に思いを寄せていた。
おふさは、日本橋の呉服問屋の大店(おおだな)近江屋清兵衛方へと嫁いでしまう。
切絵図を参考に、百姓地(桜屋敷)があったであろう場所には、すみだパークギャラリーささやという、ギャラリーになっている。
法恩寺
再開した二人は、法恩寺門前の〔ひしや〕という茶店で、湯豆腐と熱燗をくみかわす。
法恩寺は太田道灌が開基したと伝えられ、境内には有名な「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだに無きぞ悲しき」の歌を刻した太田道灌の碑があった。
法恩寺は「尻毛の長右衛門」の舞台としても登場します。
物語は、密偵となった彦十からの情報で、日本橋の呉服問屋近江屋清兵衛方に、急ぎ働(皆殺し)の押し込みの計画がある旨を平蔵に知らせる。
平蔵は、悪徳御家人服部角之助夫婦(妻は、おふさ)をはじめ一味を一網打尽にした。
取り調べで、おふさは、押し込みをする動機は、金よりも先代が亡くなって追い出されたことへの恨みだったと村松与力に話す。
取り調べを影で見ていた平蔵と左馬之介は、たまりかねて詮議場へ出て行くが、おふさの表情はみじんも動かない。おふさは、二人を忘れきっているようだった。
おふさが詮議場から牢屋へもどると、平蔵は左馬之介にささやく。
「女という生きものには、過去(むかし)もなく、さらに将来(ゆくすえ)もなく、ただ一つ、現在(いま)のわが身あるのみ・・・・・・ということを、おれたちは忘れていたようだな」と。
本所界隈に来てみるまでは知らなかったですが、墨田区さんが設置した高札が、ご丁寧に至る所にありすぎて、スタンプラリーみたいなに決まった場所をまわる感じになってしまいました。
「谷中いろは茶屋」散歩↓の時のように、むしろ過剰な案内もなく、原作本と切絵図と現代の地図、そして時たまある台東区の旧町名由来案内などを頼りにしてまわる方が個人的には好きです。
でも、墨田区さんの高札のおかげで知らない事もたくさん知れて勉強になりました、ありがたいことです。