今回は、「この世界の片隅に」で著名なこうの史代さんの代表作の一つ
「夕凪の街 桜の国」の舞台、広島(と東京中野)をめぐります。
※原作のコミックをもとに、作中出てくる場所の一部を訪ねています。
夕凪の街 桜の国
こちらは分類でいえば、やはり原爆物。
原爆投下時のその時代ではなく、戦後、原爆症に蝕まれつつも現代と過去の葛藤に生きる女性(皆実)と、その後に続く人々の物語です。
短編ですが、色々と考えさせられ心に深く残る作品です。
また、「この世界の片隅に」と同様に、戦後の広島の風景や物事をこうの先生の独自のタッチで、淡く優しくも鋭く描いています。
皆実の家(原爆スラム跡)
原爆ドームの北側、太田川沿い1.5kmにかけての基町堤防に「相生通り」と呼ばれるスラム街がありました。原爆で焼け出された人々や地方出身者などがバラックを建て住んでおり、多い時は1000世帯3000人を超える人々が住んでいたそうです。
「夕凪の街」の主人公、平野皆実と母のフジミは、この原爆スラムのバラックに住んでいました。
1970年代に全てのバラックは撤去、その後、堤防は整備され当時の面影は全くありません。
戦前、戦中この辺一帯は広島城あたりまで広大な陸軍用地でした。
そして、この基町堤防のあたりは陸軍病院があった場所です。
現在「廣島陸軍病院原爆慰霊碑」の横に、国土交通省の「基町堤防の経緯」という解説板が設置されていますが、そこにわずかに原爆スラムについてふれられているくらいです。
原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)
「夕凪の街」そして「桜の国」にも度々登場するのが、原爆ドームこと旧広島産業奨励館。
平野皆実の時代には、保存されることはまだ決まっていなく廃墟にすぎませんでした。 当時は悲惨な惨状を思い出すので、早く壊して欲しいという声も多かったそうですが、作者のこうの史代先生曰く、「保存を決めた多くの被爆者の葛藤の末の勇気の象徴として」原爆ドームを描いたそうです。
作中でも、皆実は原爆ドームを見つめながら、原爆で多くの人に対し何もできずに見殺しにしてしまい、自分だけ死なずに生きていることへの罪悪感から、この世に生きていてもいいのかという葛藤に思い悩まされます。
平和大橋
下の西平和大橋と共に、日本人とアメリカ人のハーフイサム・ノグチがデザインした橋で、「昇る太陽」をモチーフとして昭和27年に完成しました。
もともと平和大橋は、「いきる」という名前に決めていたそうですが、この橋が完成した年に志村喬主演の黒澤明監督の映画「生きる」が公開されたため、「つくる」という名前に変更したそうです。
皆実の弟、石川旭はこの橋で太田京花(石川七波の母)にプロポーズします。
2018年現在、平和大橋の横に歩道橋を建設中です。
西平和大橋
こちらも同様に、イサム・ノグチのデザインで、和船をモチーフにしたようです。
もともと「しぬ」という名前を付けていたそうですが「ゆく」という名前に変えています。
そういったわけからか、作中で同僚の打越豊が皆実を引き寄せと抱こうとした時に、皆実は西平和大橋の前身である新大橋の原爆投下時の惨状を思い出し、逃げるように帰ってしまいます。
野方配水塔(水の塔)東京都中野区
広島のみでと思いましたが、こちらは個人的にも思入れのある場所なのでちょこっと。
「桜の国」の前半の舞台は、東京の中野区です。
「桜の国」で度々、背景に水の塔こと「野方配水塔」が登場します。
個人的なことですが自分の祖父母の家の近くから、この野方配水塔の上部のドームの部分だけよく見えていたので、なんとなく形だけですが原爆ドームと同じドームつながりで連想していました。
こうの史代先生も「桜の国」を執筆当時、中野に住まわれていたようです。
野方配水塔は1929年(昭和4年)に完成し、1972年(昭和47年)に廃止されます。
現在は、災害用の給水槽になっているとのこと。高さは33.6mと、現代ではさほど高い建物ではありませんが、周囲が住宅地で高い建物がないためか、意外と色々なところから見えます。
この配水塔も、太平洋戦争時の空襲で機銃掃射を受けた跡が残っています。
いわゆる、ちょっとした聖地巡りみたいになってしまったけど、まだまだ書き足りないので、今後、少し加筆したいと思います。