夢見る旅路

江戸東京発今昔物語

歴史探訪、名所、読書録、カメラ、日用品などの雑記帳、備忘録。

薩英戦争砲台跡 台場公園。当時の原型をとどめる台場跡。南大隅町根占

随分前のことだけど、ちょこっと薩摩への旅路の備忘録。

 

日英戦争??

鹿児島を訪れ、佐多街道を佐多岬から鹿児島市内にもどる途中

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カーナビに「日英戦争砲台跡」なる記述を見つけた。

当然、「日英戦争」ではなく「薩英戦争」なんだろうけど・・・

一瞬「日本と英国は戦争したんだべかな〜?」と「我輩もぼけたんかな〜」と考えてしまったよ。

そして「台場公園

東京住まいの自分には、台場公園って鹿児島にもあるんだ!と

「日英戦争」「台場公園」の2つの記述に嬉しくなってしまい、わざわざ引き返してみました。

 

台場公園

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ほれほれ、やっぱり日英戦争ではなくて、薩英戦争でないの。

でもカーナビの名所の入力って、いちいち手入力でやっているのかな。どうして間違えたんだろう。ちょっと間違えた経緯が気になる。

でも日英戦争でも、あながち間違いではない。英国人からしたら、薩摩なんて日本に変わりはないのだから。

 

薩英戦争砲台跡

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公園内には、レプリカの大砲もありました。錦江湾に砲身を向けています。

 

ちなみに、この台場公園の向かいは指宿辺り。鹿児島湾、錦江湾の入り口あたりでは、対岸との距離も比較的短く、砲台を構えるには打って付けの場所でありましょう。

とはいえ、この距離から当時の薩摩藩の大砲で、どこまで届くのかな。

 

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薩英戦争は文久3年(1863年)。発端は前年に起きた生麦事件というのは言うに及ばず。

 英国軍は、幕府から賠償金をもらったにも関わらず、薩摩にも出向いて関係者の処罰とさらなる賠償金を求めたのでした。

 

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しかしこの台場は、実際の薩英戦争では火ぶたを切ることがなかったという。

戦闘になったのは、もっと内側の鹿児島城下と桜島の間。

それゆえ被害もなく、当時の台場の原型をとどめている貴重な史跡なのだとか。

 

薩英戦争の結果

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薩英戦争の戦果は、引き分け。

というか見方によっては、薩摩藩の勝ちかもしれない。

薩摩側が射った砲弾が、旗艦ユーライアラスの艦橋に着弾し艦長と副官が戦死、他にも被害多数。

英国側の被害が想定していたのより大きかっただけでなく、市街地にむけての無差別砲撃や一般船への攻撃など非紳士的な戦闘も多数あり、いくら生麦事件の腹いせとはいえ少しやりすぎ。やはり英国海軍の負け。

 

戦闘3日目に、英国側の想定以上の被害と、燃料と弾薬切れのため薩摩を撤退、横浜へと帰ります。

当時無敵を誇っていた英国海軍の敗北ともみられる戦果は、当時の欧米諸国を驚かせたようです。

戦後、薩摩藩はイギリスと講和を結んで、むしろ英国に近づき、次第に倒幕への道を歩んでいきます。

 

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東京の台場公園と、鹿児島の台場公園。

大きさ規模は違えど、やはり鹿児島の方が南国チックですね。