夢見る旅路

江戸東京発今昔物語

歴史探訪、名所、読書録、カメラ、日用品などの雑記帳、備忘録。

鎌倉のあじさい寺「明月院」明月院ブルーの紫陽花とやぐらとウサギ共和国。

北鎌倉から明月院へ

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鎌倉の紫陽花寺と言えば、まず出てくるのが「明月院」

北鎌倉の円覚寺から建長寺へ向かう道の、途中少し山あいに入ったところに参道がある。

 

f:id:odekakeiku:20190607151126j:plain普段は、さほど人気もない場所だけど、紫陽花の時期は別。周囲の数少ないコインパーキグンも紫陽花の季節だけは大幅に値上がりする。

 

明月院

f:id:odekakeiku:20190607151509j:plain明月院といえばよく出てくる、両側に紫陽花の咲く階段。

明月院が紫陽花で、有名になったのは戦後になってからのこと。

嘘か本当かは知らないけど、戦後の物資不足で塀を立てられず、代わりに紫陽花を植えたからともいわれている。

 

f:id:odekakeiku:20190607151219j:plain入り口付近では多種多様の紫陽花が咲き乱れる。

 

 

明月院ブルー

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入り口付近には多種多様の紫陽花があるけど、ほとんどの紫陽花は日本固有種の「姫紫陽花(ひめあじさい)」で統一されている。

鮮やかなブルーで、いつからか「明月院ブルー」と言われるようになった。

 

f:id:odekakeiku:20190607151526j:plainお地蔵さんの首掛けもブルー。

 

f:id:odekakeiku:20190607151528j:plain「花想い地蔵尊」

どんよりとしたスッキリしない日々が続く梅雨だけど、植物はじめ多くの生き物にとっては恵の雨の季節。心穏やかに梅雨を過ごしたいものです。

 

やぐら

f:id:odekakeiku:20190607151516j:plain明月院には、鎌倉でも大きな部類に入るやぐらがあって・・・

 

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紫陽花やぐらがまたいい感じに思えるのは自分だけかな。 

 

枯山水庭園

f:id:odekakeiku:20190607151551j:plain明月院自体は規模は小さいながらも、いろいろと楽しめる。

 

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言問はぬ木すら紫陽花 諸弟等が

練りの村戸に あざむかえけり 

大伴家持 万葉集 巻第四 七七三

紫陽花の移り変わりも思いの外早いものです。 

 

ウサギ共和国

f:id:odekakeiku:20190607151558j:plainちょっとユニークなのが、明月院には、ウサギ共和国もある。

 

f:id:odekakeiku:20190607151601j:plainどういった経緯で紫陽花寺にウサギ共和国ができたのかは、わからないけど、

このミスカッチ感がまたいいですね。

 

f:id:odekakeiku:20190607151609j:plain頼んでおいた御朱印を忘れずに。

 【2018年6月訪】

江戸川を渡る時に見える、とんがり帽子と丸い帽子の取水塔。葛飾区 金町浄水場第2第3取水塔

6月6日は「飲み水の日」 ということで、水に関して1つ

江戸川の、とんがり帽子と丸い帽子の塔

f:id:odekakeiku:20190605162253j:plain東京都と千葉県の都県境にある江戸川を、常磐線や車で水戸街道(国道6号線)の新葛飾橋を渡る時、下流側にとんがり帽子丸い帽子が見える。

自分は小さい頃からここを通る時に、いつもこの2つの塔が気になっていたし、周囲の人々に聞いてもやはり、何気なく気になる存在の塔らしい。

 

f:id:odekakeiku:20190605162301j:plain「男はつらいよ」の寅さんも、柴又のすぐ先にあるこの土手でのシーンでは、背景にこの塔が映っていることが度々ある。

  

こちら葛飾区亀有公園前派出所 85 (ジャンプコミックス)

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「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両さんも同様に、コミック版の表紙や作品中にもこの塔は描かれているし、アニメ版のテーマソング「葛飾ラプソディー」にこの塔が出てくるのを知っている人も多いと思う。 

トンガリ帽子の取水塔から 帝釈天へと夕日が落ちる 

 アニメこちら葛飾区亀有公園前派出所 3代目オープニングテーマ 葛飾ラプソディ

 

 

 この2つの塔は、金町浄水場の取水塔

f:id:odekakeiku:20190605162321j:plainこの三角屋根と丸い屋根の塔の土手側には、葛飾区、江戸川区、江東区、足立区他へと水を供給する金町浄水場がある。

この2つの塔は、江戸川から水を取り込むための取水塔。

 

トンガリ帽子の第2取水塔

f:id:odekakeiku:20190605162340j:plain水戸街道(国道6号線)新葛飾橋側のトンガリ帽子の取水塔は、第2取水塔

 

f:id:odekakeiku:20190605162353j:plainトンガリ帽子をかぶったようなユニークな形から、自分は小さい頃「ムーミン」に出てくる「スナフキン」に似ているなと思っていたし、スナフキンが江戸川で釣りをしているようだな・・・と、子供心に思っていた。

 

f:id:odekakeiku:20190605162405j:plainこの第2取水塔は、昭和16年(1941年)に作られたレンガ造りの取水塔で、現在も現役で使用されている。

 

丸い帽子の第3取水塔

f:id:odekakeiku:20190605163333j:plainトンガリ帽子に対して、下流側の丸い帽子の取水塔は第3取水塔

こちらは比較的新しく・・・と言っても第一回東京オリンピックが開催された昭和39年(1964年)にできた。

こちらはトンガリ帽子の「スナフキン」に対して、さながら「チャップリン」と言ったところかな。

 

f:id:odekakeiku:20190606064300j:plainちなみに、大正時代の開設時からある第1取水塔はというと、この第3取水塔ができたことに伴い解体され現存していない。

 

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第3取水塔の横に、東京都水道局のボート「金浄丸」と「金水丸」が浮かんでいた。

  

f:id:odekakeiku:20190605162408j:plain三角帽子と丸帽子の2つの取水塔は、柴又の帝釈天、矢切の渡し、寅さんミュージアムなどと共に金町を代表するシンボル的な存在になっている。

 

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旧大野木場小学校 被災校舎。雲仙普賢岳の大火砕流で焼失した学び舎。長崎県南島原市

 

旧大野木場小学校

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1991年(平成3年)6月3日。噴火活動が活発だった雲仙普賢岳から大火砕流が発生。40名を超える死者と行方不明者をだした。

その年の、9月15日にも再び大火砕流が発生する。

瞬く間に大野木場小学校は熱風にさらされ、校舎は全焼した。 

 

f:id:odekakeiku:20190603220835j:plain幸いにもこの時は、避難が徹底され人的被害は出なかった。

そして、全焼した被災校舎は噴火災害の凄まじさを伝えるものとして保存されることになる。

 

焼けただれた校舎

f:id:odekakeiku:20190603220858j:plain現在は、校舎の外側から被災校舎を見学できる。

 

f:id:odekakeiku:20190603220919j:plain大火砕流の熱風で、金属やコンクリート以外のものは焼き尽くされた。

 

f:id:odekakeiku:20190603221540j:plainこの教室は、床の基礎部分が丸出しになっている。天井からは、テレビ置きらしきものが吊るされている。

 

f:id:odekakeiku:20190603221550j:plainここは、理科室だったのだろうか、垂れ下がった蛇口が物哀しい。

 

f:id:odekakeiku:20190603221559j:plain今回、たまたま別用で通りかかり、時間があったため、ふと立ち寄った被災校舎。30分ほど見学させてもらい、撮影をしながら色々と物思いにふけた。

 

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雲仙普賢岳の大火砕流が起きたのが平成3年。自分は小学校3年だったが、雲仙普賢岳という遠い地の固有名詞は毎日のようにニュースに流れ、すぐ覚えた。

そして衝撃だったのが、ニュース映像で見た大火砕流が麓の集落を襲う映像。

多くの人が亡くなり、毎年6月3日は「雲仙普賢岳祈りの日」として記憶されるようになった。

 

f:id:odekakeiku:20190603220930j:plain同じ年の9月15日この校舎が被災した時は、前述したように幸いにも人的被害は出なかった。

しかし、当時、この焼けただれた校舎を見て、通っていた在校生や卒業生はどう思ったのだろう。

自分も当時は小学校3年だっただけに色々と思うところがあり、撮影をしながら思わず涙がこぼれてきた。

噴火、地震、台風、自然災害は、いつやってくるかわからない。

 

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被災校舎の隣に「大野木場観測所」が建てられている。

「地震の発生など危険を感じたら、急いで避難室(地下1階)へ避難してください」とあった。シェルターになっているようだ。

 

f:id:odekakeiku:20190603221616j:plain今は児童がいない校庭の砂場も、鉄棒もただ、あの時を記しているのみ。

 

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校庭の片隅に、青々と葉が茂ったイチョウの木があった。
案内板によると、昭和18年の卒業生が成人式の日に植樹したものらしい。

火砕流で焼けてしまったかのように見えたが、今ではしっかりと多くの葉をつけて復活している。

水分を内部に多く蓄え熱に強いと言われるイチョウの木は、広島でも東京大空襲でも、焼け残り、やがて復活し人々を勇気付けてきた。

人間も経験から学んだ「知識」という名の水分を多く蓄え、危機や困難の度にその「知識」を活用し乗り越え、再び立ち直らなければならないと、イチョウの木から諭されている気がした。

 

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大火砕流に消ゆ―雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの (新風舎文庫)

大火砕流に消ゆ―雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの (新風舎文庫)

 

 

旧広島気象台。江波山気象館。

今回は、広島市の江波山の山頂に建つ「旧広島気象台」江波山気象館について。

 丘の上の気象台

f:id:odekakeiku:20190601235052j:plainそれほど巡ったわけではないけど、全国の気象台巡りは自分のライフワークの1つ。

どの気象台もたいていは丘の上にあり、遠くから見て小さな城塞をも感じさせる佇まいは、小さい頃から興味深く思ってきた。

 

f:id:odekakeiku:20190601235054j:plain以前より、広島に来たら一度は行って見たかったのが、旧広島気象台。

現在の江波山気象館。

 

f:id:odekakeiku:20190601235145j:plainちょうど、訪れた日はドラマか何かの撮影で使われていた。

言えば通してくれるだろうけど、わざわざ撮影を遮ってまでの度胸もないので、しばし江波山を散策。

f:id:odekakeiku:20190602002237j:plain江波山はもともとは、島だった。それが江波地区の埋め立てにより、今は山のように見え、公園として整備されている。

江波山の公園のトイレも、風速計をイメージされていた。

 

江波山気象館

f:id:odekakeiku:20190601235152j:plainドラマの撮影がひと段落したところで、門を叩いた。いや、開けた。

現在は広島市が管理する、市営の気象館。気象の博物館となっている。

大人も料金は100円と手頃。高校生、シニアは50円。中学生以下は無料。

 

f:id:odekakeiku:20190601235203j:plainまず、入って一番目を引いたのは、ステンドグラスがはめ込められた受付窓。

この受付窓は、現在は使われていないが、こんな美しい受付は見たことがない。

 

f:id:odekakeiku:20190602002139j:plain振り返ると、入り口の上部にもステンドグラス。

 

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撮影にしばしば使用される意味がよくわかる。

さながら勝手なイメージとしては旧陸軍参謀本部か大本営か。はたまた昭和初期の病院か、大学か。さまざまなシーンに使えそうな歴史ある趣きのある廊下。

 

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階段も、来てよかったと思わせる何とも言い難い良い雰囲気。至福のときだ。

 

f:id:odekakeiku:20190602001720j:plain階段の手すりにも、そう浅くない歴史を感じさせる。

 

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ちょっと、ごめんなさい、加筆編集中です。後日ご覧くださいませ。



 

 

 

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鳩山会館へ 小川三知のステンドグラスとバラを見に行く。文京区音羽

今回は、文京区音羽の丘の上にある「鳩山会館」へ

小川三知のステンドグラスとバラを見に行った記録です。

 

鳩山会館

f:id:odekakeiku:20190523212300j:plain護国寺の正門より伸びる音羽通りにある入り口から、曲がりくねった坂を登りきると、音羽の丘の上に大正時代に建てられた洋館がある。

ここは、大正昭和と活躍した政治家、鳩山一郎が関東大震災の翌年に建てた。鳩山家4代に引き継がれ、現在は一般に公開されている。

 

鳩山会館のバラ

f:id:odekakeiku:20190523212413j:plain鳩山会館は、バラの庭園があることでも知られている。

 

f:id:odekakeiku:20190523212418j:plain音羽の丘の上に、バラの花園と、建てられてから100年近くたつ洋館。

山手線の内側の都心にあるとは思えない、静かな場所。

 

f:id:odekakeiku:20190523215626j:plain1945年に発表された「ピース(平和)」↑というバラを、鳩山一郎は気に入り庭にたくさん植えた。

 

f:id:odekakeiku:20190523212455j:plain今では「ピース」以外にも多くのバラの種類が植えられており、初夏と秋に楽しめる。

 

バラは初夏と秋のみだけど、鳩山会館には小川三知の作った貴重なステンドグラスが多くあるのも見所。

第一応接室の紋章のステンドグラス

f:id:odekakeiku:20190523213030j:plain洋館に入ってまず右手にある、第一応接室。ここ鳩山会館の紹介の映像が見られるが

 

f:id:odekakeiku:20190523213035j:plain暖炉の両脇には、鳩山家の紋章のステンドグラス。

 

f:id:odekakeiku:20190523213047j:plainイギリス風の紋章には3羽の鳩。

 

f:id:odekakeiku:20190523213715j:plain後ろの緑が借景とってなっている。

 

第二応接室の花柄のステンドグラス

f:id:odekakeiku:20190523213107j:plain数々の政治の舞台にもなったという第二応接室。

 

f:id:odekakeiku:20190523213226j:plainここの欄干には、4つの花柄のステンドグラス。

 

食堂のライチのステンドグラス

f:id:odekakeiku:20190523213235j:plainそして1番奥の食堂。

ちなみに2019年5月に5夜連続で放送された「白い巨塔」のロケにも鳩山会館は使用されています。

小川三知のステンドグラスが映っていました!

 

f:id:odekakeiku:20190523213509j:plain食堂には、ライチの実。

小川三知がこのライチのステンドグラスを作ったのが、大正時代。ライチは楊貴妃が早馬で取り寄せたということでも知られるように、鮮度が落ちやすい果物。大正時代の日本人はライチを食べていたのかはわからないけど、なぜライチなのか興味深いです。

 

階段の五重の塔のステンドグラス

f:id:odekakeiku:20190523213533j:plain2階へと昇る階段の踊り場に、一際大きなステンドグラスがある。

 

f:id:odekakeiku:20190523213553j:plain1階から見上げるのもいいが、2階から見下ろすのもいい。

 

f:id:odekakeiku:20190523213602j:plainこの五重の塔は、奈良の法隆寺の五重の塔を模したといわれている。

 

f:id:odekakeiku:20190523213608j:plainよく見ると朱色の部分は、二重になっており立体に見えるような工夫がされている。

 

洋館入り口の鳩のステンドグラス

f:id:odekakeiku:20190523213633j:plain洋館入り口にも、横に長細い鳩のステンドグラスがはめられている。

入り口のすぐ上にあるため入ってくる時よりも、出る(帰る)時の方が気付きやすい。

 

f:id:odekakeiku:20190523213637j:plain係りの方が、「実はこうすると入る時にも、このステンドグラスが見れるんですよ」と、入り口の扉を閉じてくれた。

 

f:id:odekakeiku:20190523213642j:plainすると、扉のガラス部分に鳩のステンドグラスが反射して映る。

う〜〜む、、よくできていますねー。

日本のステンドグラス 小川三知の世界

日本のステンドグラス 小川三知の世界

 

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東京の盲腸線を行く2「東武亀戸線」亀戸駅〜曳舟駅

今回は、久々に東京の盲腸線を行く!

f:id:odekakeiku:20190509111917j:plain第2回目は、東武亀戸線です。

※鉄道詳しくないので、素人目の浅い知識による記載であることをご了承ください。

 

盲腸線

f:id:odekakeiku:20190509111939j:plain【盲腸線】とは、本線や支線から盲腸のようにはみ出て、ちょろっと短距離を走る路線のこと。

個人的な定義は、多くても5駅、距離も5kmくらいまでかな。

以前、盲腸線に言い知れない魅力を小さい頃から感じているという話を友人にしたら、

「盲腸って名前が悪い」(悪いかな?)

「痛い感じがする」(反論:それは盲腸炎、虫垂炎。盲腸自体は痛くないと思う。)

「意味ないみたい」(反論:最近の研究によると盲腸にも意味があるという説もあるらしいよ。)

と散々言われたけど・・・。

今や、ウィキペディアにまで「盲腸線」の記載がある昨今。それほど認知されてきたので「盲腸線」のままで行きますよ。

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東武 亀戸駅

f:id:odekakeiku:20190509111303j:plain我が家からの最寄駅は曳舟駅だけど、ここはあえて亀戸駅からスタートします!

(わざわざ亀戸駅までバスで来ましたw)

亀戸駅はご存知、JR総武線各駅停車(黄色い電車)が走ります。でもJRとは直接の連絡改札はなく一度駅ビルのアトレ亀戸の中を抜けて行かなくていけません。

 

f:id:odekakeiku:20190509111307j:plain改札近くに「ぎゃらりーかめいど」なるものがありました。亀戸線への愛情を感じます。素敵w

 

f:id:odekakeiku:20190509111310j:plain盲腸線とあなどるなかれ、亀戸線亀戸駅の自動改札機は合計5つ。もちろん有人駅。

ちなみに、同じ東武線の盲腸線である大師線の西新井駅は今は無人駅で、自動改札もない。

 

f:id:odekakeiku:20190509111315j:plain緑とオレンジの電車が停車していました。いずれも2両編成、大師線と同じ電車かな。

 

f:id:odekakeiku:20190509113927j:plain亀戸線の亀戸駅は高架ではないので、お隣のJR総武線各駅も通過する快速も電車の屋根しか見えません。

 

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そして地上駅のため階段はありませんが、ちょっとした急な傾斜にもスロープ完備。

こういうタイプの地上駅ということは、歴史が古いということを物語っている気がします。事実、JRも東武も亀戸駅の開業は明治37年(1904年)。日露戦争の時です。

 

f:id:odekakeiku:20190509113913j:plain日中は毎時10分に1本の割合で、ラッシュ時は7分おき。なお東武スカイツリーラインとの直通はありません。

 

f:id:odekakeiku:20190509113917j:plainともあれ、東京都江東区「亀戸」を出発します。

 

「亀戸」から「亀戸水神」へ

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亀戸駅を出発して間も無く、わずかにJR線と平行して走るのが見れるスポットがありました。ちょうど、各駅停車(黄色い電車)と特急成田エクスプレスを視認w

f:id:odekakeiku:20190509115507j:plainカーブをまがると、すぐ「亀戸水神駅」が見えてきました。

距離は亀戸駅から700mほどだそうです。駅もカーブにそってあります(駅もカーブしています)。

 

f:id:odekakeiku:20190509115731j:plain江東区「亀戸水神駅」に到着。

 

f:id:odekakeiku:20190509115742j:plainちょっと気になったのが

「亀戸天神の最寄駅は亀戸駅です」「亀戸天神(天満宮)と亀戸水神はちがいます」

という案内表記。

なるほど、間違える人がいるのかもしれないですね。

 

「亀戸水神」から「東あずま」へ

f:id:odekakeiku:20190509120211j:plainゆるいカーブの先、蔵前橋通りが見えてきました。

 

f:id:odekakeiku:20190509120215j:plain蔵前橋通りをくぐるとすぐ、北十間川を渡ります。進行方向右側に見える橋は丸八通り新小原橋(しんおはらばし)。

 

f:id:odekakeiku:20190509120217j:plainほどなく「東あずま」駅に到着。こちらもカーブに沿って駅があります。

 

f:id:odekakeiku:20190509122042j:plain「東あずま」駅から亀戸線の終点「曳舟」駅までは墨田区です。

 

f:id:odekakeiku:20190509122045j:plain東あずま駅近隣を散策したかったので一度途中下車。散策については後日別記事で。

 

ここで亀戸線について少々・・・

亀戸線はワンマン運転

f:id:odekakeiku:20190509135139j:plain東武亀戸線はワンマン運転です。

 

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先ほどの亀戸駅で気になったのが、線路脇に立てられていた「ホーム→」の案内標識(反対の2番線側にもあった)。

はじめこの標識必要?と思いかけましたが、亀戸線はワンマン運転のため運転手が1人でドアの開閉から、様々な運行に関する業務をします。

それに、亀戸駅以外は、亀戸へ向かう電車は全て進行方向左側にホームありがました。少しでもミスを防ぐためのようです。

 

f:id:odekakeiku:20190509135822j:plainドアの開閉の操作、確認をするのも運転手の仕事。

 

亀戸線の安全対策

f:id:odekakeiku:20190509122050j:plain亀戸線は、ホームに駅員がいないためか?ワンマン運転のためか?いずれにせよホームに設置されたセンサーで安全確認を行なっているようです。

 

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「センサーで安全確認を行なっておりますので、かならず黄色い線の内側をお歩きください。」

と、随所に案内が表記がありました。

 

f:id:odekakeiku:20190509122056j:plain二本の白線がセンサーなのかな?

 

「東あずま」から「小村井」へ

f:id:odekakeiku:20190509140616j:plain東あずま駅あたりで下り電車に遭遇。

昼間の10分おきダイヤだと、このあたりで毎度すれ違うようです。

ちなみに亀戸線は

  • 曳舟へ向かう電車→上り電車
  • 亀戸へ向かう電車→下り電車

と呼んでいるようです。駅のアナウンスでも「上り電車」「下り電車」と言っていました。

 

f:id:odekakeiku:20190509140621j:plain「小村井」駅は直線の駅。ちなみに読みは「おむらい」。亀戸線の途中駅の中では最も乗降者数が多いようです。

 

「小村井」から終点「曳舟」へ

f:id:odekakeiku:20190509140637j:plain戸建ての住宅街の中を走ります。踏切の間隔が狭い気がします。

 

f:id:odekakeiku:20190509140639j:plain住宅街をぬけカーブにさしかかり、京成押上線の高架をくぐります。

信号機の下の「カ」は亀戸線の意味かな。

 

f:id:odekakeiku:20190509140656j:plainほどなくして、終点「曳舟」駅に到着です。

 

f:id:odekakeiku:20190509140700j:plain亀戸駅から3.4km、約8分で到着です。ちなみに料金は150円。

 

f:id:odekakeiku:20190509140715j:plain曳舟駅5番線到着。折り返し亀戸行きになります。

「ワンマン亀戸」って響が、なんとなくいいw

 

f:id:odekakeiku:20190509140718j:plain停車時間も短く、再び亀戸へと走って行きました。

 

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平成から令和へ 国立公文書館特別展「江戸時代の天皇 」を見に行く

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今回は、竹橋の国立公文書館で令和元年5月12日まで開催されている、特別展「江戸時代の天皇」について。

 

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平成31年4月6日(土)〜令和元年5月12日(日)まで期間中無休でやっています。

近くに用があり、たまたま訪れた特別展でしたが思いの外楽しめたので一部を備忘録を兼ねて記したいと思います。

 

信長、本能寺の変直前に天皇より征夷大将軍を打診されていた!?

f:id:odekakeiku:20190418121612j:plain特別展「江戸時代の天皇」ですがその前の、安土桃山時代からはじまります。

 

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「日々記(にちにちき)」 公家 勧修寺晴豊の日記   

天正10年(1582年)4月25日、正親町天皇は公家の勧修寺晴豊を使者とし、織田信長に太政大臣関白征夷大将軍のいずれかへ任官したいという意向を伝えています。

しかし信長はすぐには返答せず、6月2日に本能寺の変が起き死去してしまいました。

 

江戸時代の改元の制定について

f:id:odekakeiku:20190430205109j:plain「教令類纂(きょうれいるいさん)」 慶長年間から天明にかけて幕臣 宮崎成身が書いた江戸幕府の私撰法例集 禁中并公家中諸法度

一 改元、漢朝年号之内、以吉例可相定、但重於習礼相熟者、可為本朝先規之作法事

改元は漢朝(中国)の年号の内から良い事例に基づいて決定すること。ただし元号選定が習熟したなら本朝(日本)の先例の作法に基づいて改元すること。と見えます。

江戸時代になると徳川幕府は「禁中ならび公家中諸法度」を制定して、朝廷への行事や改元についても介入するようになります。

 

江戸時代の新天皇 即位式の様子

f:id:odekakeiku:20190430205128j:plain「御即位庭上之図(ごそくいていじょうのず)」

貞享4年(1687年)4月28日に行われた東山天皇の即位式の様子を描いた図です。

 

f:id:odekakeiku:20190430205138j:plain天皇の座る玉座、高御座(たかみくら)も描かれていますが、女官の持つ団扇で天皇の姿は見えません。

庭にも高御座周囲にも「少納言」「命婦(みょうぶ)」などの官位を持った者が列席しています。

 

水戸黄門が作成させた「礼儀類典」

f:id:odekakeiku:20190430205145j:plain「礼儀類典」全515冊 紅葉山文庫旧蔵

水戸黄門こと水戸藩2代藩主徳川光圀は、朝廷の儀式の実用に役立てることを目的に、儀礼の調査と編纂をします。

 

f:id:odekakeiku:20190430205149j:plain「礼儀類典」全515冊 紅葉山文庫旧蔵

 朝廷で行われていた儀式などを、延長8年(930年)〜天文元年(1532年)までの日記類などの記録から、多くの時間と人をかけて抽出・分類しました。礼儀類典は全515冊にも及びます。

現在の即位式はじめ数々の儀式にも活かされているのかもしれません。

 

他にも朝廷と民衆の関わり(江戸時代も意外と関わりがあった) などなど、興味深い資料が多数展示されていました。

 

「平成」の書の原本も展示

f:id:odekakeiku:20190430233609j:plain令和への改元にあたり、あの「平成」の書の原本も特別に展示されています。

 

f:id:odekakeiku:20190430205154j:plain令和元年5月12日まで無休、無料で開催しています。 

令和日本史記 - 126代の天皇と日本人の歩み -

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