夢見る旅路

江戸東京発今昔物語

歴史探訪、名所、読書録、カメラ、日用品などの雑記帳、備忘録。

呉駅〜三ツ蔵〜辰川バス停 この世界の片隅にを歩く4

今回は、「この世界の片隅に」の舞台が呉でよく出てくる「呉駅」「三ツ蔵」、そしてちょっとおまけで「辰川バス停」。

 

呉駅

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現在の呉駅は、1981年(昭和56年)に建てられた4代目。

原作や映画に出てくる駅舎は、1945年(昭和20年)7月2日の呉空襲で全焼してしまいました。当時の駅舎の中には、貴賓室、一等・二等・三等待合室があったようです。

 

三ツ蔵

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原作、アニメ、そして2018年7月からはじまったドラマ版でも度々登場するのが、三ツ蔵(三ッ蔵)こと旧澤原家住宅

すずさんの嫁ぎ先、北条家があるとされる灰ヶ峰の麓と、呉の中心街の間に位置しており、どの作中でも度々登場する、呉のシンボル的な存在です。

 

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江戸時代後期のもので、中国地方を代表する大規模商屋の1つとして重要文化財に指定されています。

 

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裏から見ると、よく見るありがちな蔵の作りではあるけど、品格を感じました。

 

目印は、スーパーの万惣呉東中央店。

呉の観光協会から『この世界の片隅に巡礼ガイド「三ツ蔵」への行き方』という案内が出ていて、バスでの行き方を紹介していますが、呉駅から堺川や中心街を歩きながら行くのがおすすめ。

辰川バス停

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原作とアニメでは、木炭バスが登ってこれなくて、浦野家一行が歩いて登ってくると、ここで周作の叔母で仲人を務める小林さんがお迎えにきています。

すずさんは周作の母だと勘違いして「末永うお世話になります」と挨拶する場面。

 

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ちなみに、ここから上に登った所あたりに、モデルになった家があるとされてますが、聖地巡礼でそれを特定しようという人が多く地域住民の方々の迷惑になっているので、このバス停より上は行くのは避けて欲しいとのことです。

 片渕須直監督も度々つぶやいています↓

 

自分は「聖地巡り」という言葉に違和感があってあまり使っていないけど、人様に迷惑をかけてまで舞台の地を訪ねたいとも思わないので、簡単だけどこの辺で終わりです。

 

参考図書:「図説 呉の歴史」金指正三編著 国書刊行会  他

 

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江波からすずさんの嫁ぎ先の呉へ。呉線他。この世界の片隅にを歩く3

今回は、すずさんのお嫁入りの道中をたどります。

漫画、アニメでもサラッと流れるこの場面ですが、交通関連ネタは意外と現代でも残っているところが多くあり興味深かったのと、2018年7月の豪雨で呉線と呉は大きな被害を受けたので、応援の意味もこめて少し綴っていきます。

 

江波から舟入本町の電停へ

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すずさんの実家は江波。漫画やアニメでは江波山江波の皿山の間あたりに描かれている節があります。写真に見えているのは江波の皿山江波山から撮影)。

おさらいになりますが、この辺一帯はかつては海。江波山も、江波の皿山も島だったようです。江波では戦前、海苔の養殖業が盛んでした。

 

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ちなみに「江波」停留所の裏に見えるのは江波の皿山

昭和19年2月、すずさんがお嫁に行く当時には、まだこの「江波」停留場はありません。

 

舟入本町〜横川新橋〜横川駅

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当時(昭和19年2月)は、江波から4つ目の「舟入本町」が終点だったようです。

周作さんとお父さんの円太郎さんが

「すみません電停はどこですか?」

とすずさんに尋ねるシーンがありますが、その電停とは「舟入本町」でした。

 

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すずさん一行は、この舟入本町の電停から市電に乗って、山陽本線の横川駅と向かいます。

 

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アニメには一瞬、手前に横川橋(当時はアーチ橋)と、奥の横川新橋(↑写真)に市電が走るシーンが映ります。

 

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横川駅から山陽本線に乗って、広島駅へ。

 

呉線

「廣島」駅から呉線に乗り換えます。

「向洋(むかいだな)」「海田市(かいたいち)」「矢野(やの)」「坂(さか)」「小屋浦(こやうら)」と呉線は呉へと向かって行く。

(現在より駅数は少ないです)

 

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アニメ版では小屋浦あたりの車窓が映し出されていました。

アニメ版には、広島方面へ向かう船が描かれているけど、その船も史実通りに航行していた船を描いたようです。

その船の名は大阪汽船の「こがね丸」(当時は、海軍が徴用)。

その日は、呉鎮守府司令長官の野村直邦中将座乗で、大竹に向かっていたとのこと。

徹底的にリアリティを追求(し)す(ぎ)る、本当にすごいアニメです。

 

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ちなみにちょうどこの日も、海上自衛隊の船が航行していました。

艦番号「732」→掃海隊群第101掃海隊(呉基地)所属の掃海艇「ながしま」のようです。

 

アニメでは、この辺りから車掌が憲兵と共に現れ

車掌「これより海側の鎧戸をお閉め願いまーす」と乗客に知らせるシーンがあります。

当時、呉は要塞地帯に指定されていたので、戦中は呉軍港に近づくと鎧戸を閉めさせて直接軍港を見ないようにしていたようです。

 

戦艦大和 目かくし塀

アニメ版では、呉線が走るすぐ横に塀が描かれています。

戦艦大和を見えないようにするための塀だったとも言われています。

 

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今でもその目隠しの塀の痕跡と思われるコンクリートが、車窓からも見てとれました。場所は川原石駅あたり。

 

旧両城トンネル

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当時の呉線と今の呉線はほぼ同じ所を通っていますが、戦後一部変更されてます。

 

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その1つが旧両城トンネル。

 

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明治36年に作られた旧両城トンネルも、昭和45年の呉線の電化にともない、より天井の高いトンネルが必要となり廃線になります。

 

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両城トンネルをぬけると、呉駅はもうすぐです。

 

 

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この世界の片隅にを歩く2 江波界隈。海神宮、旧広島地方気象台、江波山他

 今回は、この世界の片隅にを歩くの第2回め。

原作、アニメ版の進行と共にすすめていきます。

 

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 2回目は、すずさんの幼少期から嫁入り前までの日々から、江波界隈を少し。 

江波山から草津方面を眺める(原作、アニメ版:干上がった海を渡って草津のおばあちゃん家へ)

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江波山から草津方面を撮影

原作(上巻17P〜大潮の頃)、アニメ共に夜満潮のシーンからはじまる。翌朝になると・・・

すず「ゆうべの海こんなじゃったのに。大潮の今朝と来たらこうじゃ」

と言って遠浅の海が干上がっており、お兄ちゃん、すず、すみの三兄弟が草津までお土産のスイカを持って渡るシーン。

現在は埋め立てられており、当時の面影はない。

 

盆灯篭(お墓まいりシーン)

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ここで、ちょっと場所ではないけど広島の盆灯篭について。 

作中で草津の祖母方へ、遅れてすずの両親が到着する。その時に、すずのお父さんの手に持っているのが盆灯篭。おそらく街で買ってきたものだろう。

山を登って墓参りするシーンでも、盆灯篭を持っている。

広島では昔から、お盆に紙でできた灯篭をお墓にお供えする風習がある。

 

はじまりは諸説あるけど、有名な説は・・・

「その昔、広島城下紙屋町の紙屋の娘がなくなり、父親が供養にと石の灯篭を建てたかった。しかしそんなお金もあるはずがなく、しかたなく紙で作った灯篭を建てた」というもの。

お盆時期、広島ではスーパーやコンビニでもこの盆灯篭は販売される。しかし近年はゴミ処理の問題等で紙灯篭も年々減ってきているとか。

 

海神宮(アニメ版:13年2月 海苔を立てかけるシーン)

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「13年2月」とタイトルがあって、次の場面で江波港の海神宮(かいじんぐう)が映る。

 

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海神宮。江波港の入り口に鎮座。海の安全を願って江戸時代に創建された。

現在の社殿は安政7年(1860年)のもの。爆心地から3.36kmの距離にあり。被爆建物。

 

旧広島地方気象台(アニメ版:海苔を立てかけるシーン)

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お兄ちゃん「こづかいまで我慢せーや。お前がえっとラクガキせにゃ すむ話じゃろうが」

と兄、要一がコートを着ながら、鉛筆代をねだるすずに小言を言うシーン。その後ろに見えているのが、江波山気象台こと旧広島地方気象台

 

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昭和9年に建てられ、昭和62年に八丁堀の合同庁舎に移転するまで使われていた。

爆心地から3.63kmの距離にあり爆風を受けて曲がった窓枠や飛散したガラスが突き刺さったままの壁など、今なお被爆の痕跡が残る。

現在は、広島市江波山気象館。全国でも珍しい気象の博物館。

 

 

松下商店(アニメ版:すずとすみが走って登校しているシーン)

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すずさんと妹のすみちゃんが走って登校しているシーンで出てくる角の松下商店

 

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姉妹はこの前を走って登校する。

現在の江波小学校は、江波山の麓(松下商店から南西)にあるが、地元の方がおっしゃるには、当時は現在の児童館あたり(松下商店の北側)にあったらしい。姉妹が走って登校するシーンも正確に再現されているようでした。

 

江波山(水原のために、白いウサギが跳ねる海の絵を描いてあげる)

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江波山を歩きまわっておそらくこの辺かなと思って海の方を見るも、現在は埋立地とビル等の建物に苛まれて、あまり見渡せなかった。

 

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ということで、もう少し高いところならばと、江波気象館の屋上へ上がって撮影。

作中にも描かれている三角山がわずかに見てとれましたが、やはり現在は白いウサギがが跳ねているような白波を見れるような感じでは到底ありません。

 

宇品の転覆事故 

水原「うさぎがよう跳ねよる。正月の転覆事故もこんな海じゃった」

 水原哲のいう転覆事故は、実際にあった事故のようです。

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当時の事件事故を記録した大呉市民史にも

宇品沖惨事

二日午後四時四十分ごろ、江田島汽船みどり丸(十四トン)屠蘇客およそ八十名を乗せ能美島に向う途中、峠島付近で強風をうけ右舷に傾き約五分で沈没、三日正午までに五十一名救助(うち十一名死亡)、同朝呉鎮掃海艇数隻回航、潜水夫を入れ、船体を引き揚げ、船室内から二十一死体を収容、なお九名不明。

大呉市民史昭和篇(中巻一)社会編 昭和十三年〔一月〕 三一九

とあった。この事故で、水原は江田島の海軍兵学校に行っていた兄を失う。

 海軍兵学校に入ることは、東京帝大に入るよりもある意味難しいといわれいた時代。

水原が「親が呑んだくれている家には帰りたくない」と言うように、それだけ優秀な息子を不慮の事故で亡くした両親の喪失感も尋常ではなかったようだ。

 

水原は、すずに新しい鉛筆を差し出す。

水原「兄ちゃんのじゃけ。ようけあるけえ。」

この一言も、優秀な息子に惜しまずたくさんの鉛筆を買い与えていた事が伺える。

 

江波沖の埋め立て 

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 江波山をさまよっていると、廣島工業港魚介藻類慰霊碑を発見。

昭和15年に江波沖76万平方メートルを埋め立てる起工式が行われ、埋没し生命を絶つ魚介藻類へ回向するため建てたとのこと。

ちなみに作中では、白うさぎのスケッチの話が出てくるのは昭和13年の出来事として描かれているので、その2年後には埋め立て事業がはじまる。

 

白うさぎのスケッチから5年後の「昭和18年12月」すずに縁談話が来る。

家に帰り秀作を覗き見た後、すずは江波山で身を隠し

すず「困ったね〜嫌なら断りゃええ言われても嫌かどうかもわからん人じゃったね〜」

 と言って海を見つめている場面では、もうすでに江波沖は埋め立てられていて新しく工場を建設している様子が描かれている。

 

となりの古江、遠くの満州

ちょっと話は前後するけど。

草津の家でお昼を食べているシーンで、箸の持ち方で近くにお嫁に行くか遠くにお嫁に行くかという場面がある。

 

千鶴子(すずの従妹)「おばあちゃんはどっから来んさったん?」

イト(おばあちゃん)「わしゃ古江よ〜ね」

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広電でも古江は、草津の隣。

 すみ「隣の古江から草津でそんとなじゃ、満州やなんかへいっての人は火箸でも足らんね」

 

江波沖の埋め立てで、すずさん一家も海苔を作ることができなくなってしまったように、当時埋め立てで職を失う人が多かった。

資料によると特に江波では満州に開拓に出る人も多くそれゆえ満州へ嫁ぐ人も多かったと思われる。

 

丸子山不動院(アニメ版:草津から家へ船で帰るシーン)

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丸子山不動院(画像右端の山の上お堂)

草津から、縁談のため急ぎ江波の家まで舟に乗せてもらい帰るシーンで、小高い山の上に丸子山不動院が映る。

 

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文化5年(1808年)江波の仲屋幸助という船乗りが豊後国(今の大分県)で、漁師より海中より網にかかったという不動明王をもらい受け、丸子山にお堂を建てて祀る。 

 

江波の皿山(すずさんの実家、浦野家近く)

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江波気象館より江波の皿山(写真中央手前)を写す。

すずさんの実家、浦野家の背後に江波の皿山が写っている。

 

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広電の江波停留場の先、江波車庫と皿山。

アニメ版では皿山の片側が禿山のようになっているが、これは当時ここが陸軍の射撃場になっていたため。戦中は高等女学校の生徒が実弾で訓練していたとの記録もあるとか。原爆投下直後、この射撃場でも多くのご遺体を荼毘に付したそうです。

 

長くなったので、このへんまでで。

まだまだ江波は書き足りないので、時間があれば番外編でも書こうかなと思います。

 

参考資料

「この世界の片隅に 上」こうの史代 双葉社

「この世界の片隅に 廣島 昭和8年 中島本町ロケ地MAP」広島フィルム、呉地域フィルムコミッション発行

「この世界の片隅に 劇場アニメ絵コンテ集 」双葉社

「大呉市民史昭和篇(中巻一)社会編」弘中柳三 大呉市民史刊行委員会

「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島市

「目で見る 広島市の100年」郷土出版社
「写真アルバム 広島市の昭和」樹林舎

撮影機器:オリンパスOM-D E-M10 Mark III ,M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ

 

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この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

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この世界の片隅にを歩く1 広島江波港から中島本町、相生橋まで

こうの史代さんの漫画(以下、原作)で、アニメ映画(以下、アニメ版)にもなった「この世界の片隅に」の舞台となった場所を歩いてきました。

 

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まずは、広島市南方に位置する江波から。

  

江波港(原作、アニメ版:風呂敷包みを背負わされるシーン)

原作、アニメ共に、まだ幼いすずが海苔の入った風呂敷包みを母から背負わされるシーンから始まる。

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すずさんが風呂敷包みを背負わされる場面は、江波港

江戸時代、半農半漁の港町として栄えていた。大きな貿易港とする計画もあったが廃藩置県でその計画もなくり、埋め立てが進み市街地化していった。

アニメ版では、海苔が干されている道がカーブし、その先に小高い山が見える。その小高い山は、作中幾度も登場する江波山

江波山には、被爆建物の江波山気象館が現存。

 

江波での海苔の養殖

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ちなみに、どのシーンか少しでも解ってもらえるように絵を描いたけど、下手すぎて落ち込みました。もう描きません。でもせっかく描いたので、これだけは載せます。。。

 

すずさん家の家業は、海苔の生産。

豊かな養分を含んだ太田川の流水に恵まれ、広島湾では牡蠣と海苔の養殖が有名。

かつて広島の海苔は、江波を中心に生産されていて、海苔を乾燥させるために干す風景は冬の風物となっていたそうです。

その後、江波から先の海も埋め立てられ工業地化され、江波での海苔の生産は姿を消しました。

  

住吉橋(アニメ版:ガマ口の小銭を数えるシーン)

すずさんは、江波港から本川沿いの道を広島方面へ歩いていると、砂利船の船頭さんに声をかけられ、中島本町近くまで乗せてもらう。

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砂利船の中で

すず「ほいで海苔を届けたら、兄と妹にお土産を買うて帰るのです・・・」

と言ってガマ口からお金を出して数えるシーン。

すずさんを乗せた砂利船がくぐるコンクリートの橋は「住吉橋」

住吉橋は、明治に架けられた時は木の橋だったが、大正に鉄筋コンクリートの橋となる。被爆するも落橋はまぬがれたが、終戦後すぐにあった台風で落橋。

現在のアーチ橋は、昭和29年に架けられた。

住吉橋の名前の由来は、橋のたもと東側上流にある住吉神社(画像左端)から。

 

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住吉橋の少し上流にある、新住吉橋より住吉橋を撮影。

下流の江波港方面に見える三角山は、似島の安芸小富士。

 

森永食糧工業広島支店付近(アニメ版:すずさん上陸地点)

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画像の左の橋は本川橋。対岸が現在の平和記念公園。

アニメ版に出てくる「森永ミルクチョコレート」の看板のある建物、森永食糧工業(現在の森永製菓)広島支店はこのあたりにあったらしい。

森永の建物の前にカキ船が描かれているが、当時もカキ運搬船を改造したかき舟で、カキ料理を楽しんでいたらしい。

 

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川岸の石段はが雁木(がんぎ)というそうです。

 

中島本通り(原作、アニメ版:商店街を歩くシーン)

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現在の本川橋から東側、平和記念公園方面を撮影。

すずさんが商店街を歩く(看板を持ったサンタクロースが鐘を鳴らして飛び跳ねている)シーン。 

 当時も、すずらん灯が設置され道路も舗装されていた。商店街は本川橋東詰よりはじまり、元安橋、本通り、新天地に続く通りは広島の中で最も賑わっていた。

 

駄菓子屋のヒコーキ堂界隈

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すず「チョコレート10銭、キャラメル大箱10銭、小箱5銭、ヨーヨーは10銭・・・」

現在「原爆の子の像」の通りをはさんだ向かいの西側に、駄菓子のヒコーキ堂があったと推定される。

 

 

大正屋呉服店(アニメ版:すずさんが窓辺にもたれているシーン)

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すずさんが道に迷い、途方に暮れて窓辺にたたずんでるシーン。

1929年(昭和4年)に大正屋呉服店として完成。鉄筋コンクリートのモダンな呉服店で、当時の呉服店としては珍しく履物をはいたまま上がれるようになっていた。

 

戦争が激化し1943年12月の繊維統制令で呉服店は閉店。1944年には県燃料配給統制組合に買収される。

 

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被爆するも現存。地下室にたまたま書類を取りに行った1人を除いて、全員が犠牲になった。

つい最近までレストハウスとして使用されていたけど、行った時は改装工事中でした。

 

相生橋(原作、アニメ版:化け物を眠らせて周作と別れるシーン)

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現在はT字型の相生橋。

原作でもアニメ版でも、橋が二重になっているのは、1939年まではH字型の橋がかかっていたから。

 

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アニメ版では路面電車が2人の後ろを走り過ぎるが、現在も、相生橋の上を路面電車が走る。 

市街地の中心にある相生橋は、原爆の投下目標にされたといわれている。

実際の爆心地は、相生橋東詰から150mほど離れた島病院。

 

 

被爆前の中島本町をリアルに知っていた義祖父曰く「モダンなカフェーや色々なお店があり、それはそれは賑わっていて行くだけでも楽しくなった」と。

教師をしていた義祖父も原爆投下後直後、教え子を探しに広島市内を探し回ったという。

原作、アニメ版共に、この中島本町界隈のシーンは個人的にもとても印象に残るシーンでした。 

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参考資料

「この世界の片隅に 上」こうの史代著 双葉社

「この世界の片隅に 廣島 昭和8年 中島本町ロケ地MAP」広島フィルム、呉地域フィルムコミッション発行

「この世界の片隅に 劇場アニメ絵コンテ集 」双葉社

「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島市

「図説広島市史」広島市公文書館

「目で見る 広島市の100年」郷土出版社
「写真アルバム 広島市の昭和」樹林舎
「広島、1945」南々社
「原爆が消した廣島」田邊雅章著 文藝春秋

 撮影機器:オリンパス OM-D E-M10 Mark III ,M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ

 

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サンディスクSDカード 純正品保証期間内でも並行輸入品や海外パッケージ版では、やっぱり保証がきかない

タイトルのまんまです。

 

SDカードのロックが取れて使えなくなる

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初めてのケースだけど、SDカードのロックスイッチが取れて使用できなくりました

しかも撮影旅行で遠出しており、ちょどその日はボランティアで依頼されていたイベントの撮影中という、かなり痛い状況(汗

ロックスイッチがないと書き込めない=使用できませぬ。。

 

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自分の使用しているNikonD750はカードダブルスロットなので、とりあえずもう1枚入れていた予備のSDカードで撮影をなんとかこなしました。

この時ほど、ダブルスロットのありがたみを感じたことはなかったよ。

 

さてさて寄宿先に帰って、たしか購入時に「3年保証付き」と書いてあったな〜と思いだしたので、さっそくサンディスクさんに問い合わせてみました。

 

保証期間内→サンディスクに問い合わせ

サンディスクの専用問い合わせフォームから、問い合わせてみると休日にも関わらず半日ほどで返信あり。

 

無料交換の条件は・・・

  • 保証期間内であること
  • 購入の履歴がわかるレシート、納品書があること
  • 製品の保証書があること

ふむふむ、全部該当

たしかに交換してくれるようです!

帰ったら交換をお願いしようと思っていたら、末尾の方にさらに返品の交換注意事項とありました↓↓

※海外向け製品につきましては、保証内容等が異なりますため、
また、国内に同じ型番の製品がないため、弊社にて返品交換等の対応ができかねる状況でございます。

我が家のサンディスクSDカードは、ほとんど大手量販店で購入した国内正規品 と、さりとて心配もしていませんでしたが・・・

 

海外パッケージ版だった 

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1週間の旅行から帰って来て、物置の奥に保管していたパッケージを出してきて、確認すると・・・

あれま海外パッケージ版???

そういえば通常量販店で買うことが多いのですがこれだけは超大手ネット通販で安いなと思ってポチった記憶があります。

でも3年保証とあったし、届いてサンディスクのHPでシリアル番号を入れて製品登録すると無事に登録できたので、特に気にもせず使用していました。

 

問い合わせして返答があったメールに・・・

※製品型番の下3桁または4桁がJ以外で始まる製品につきましては、弊社の海外向け製品となっております。

と記載してありまして・・・

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あんれま〜! 下3桁が「J」ではじまっていません;;

やっぱり海外向け製品(涙

ということで、交換はできませんでした(涙涙

 

「3年保証」等々謳い文句があっても、該当の国で発売されていて、その国で交換手続きすれば・・・というものなのでしょうか。

とはいえ、国内パッケージ版と半値くらいの差があるので、万一の時は保証が効かないよと覚悟の上なら、いたしかたないでしょう。

 

 半値の差なら、やはり次も海外パッケージ版を買うかな・・・どうかな・・・。

 

 

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薩英戦争砲台跡 台場公園。当時の原型をとどめる台場跡。南大隅町根占

随分前のことだけど、ちょこっと薩摩への旅路の備忘録。

 

日英戦争??

鹿児島を訪れ、佐多街道を佐多岬から鹿児島市内にもどる途中

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カーナビに「日英戦争砲台跡」なる記述を見つけた。

当然、「日英戦争」ではなく「薩英戦争」なんだろうけど・・・

一瞬「日本と英国は戦争したんだべかな〜?」と「我輩もぼけたんかな〜」と考えてしまったよ。

そして「台場公園

東京住まいの自分には、台場公園って鹿児島にもあるんだ!と

「日英戦争」「台場公園」の2つの記述に嬉しくなってしまい、わざわざ引き返してみました。

 

台場公園

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ほれほれ、やっぱり日英戦争ではなくて、薩英戦争でないの。

でもカーナビの名所の入力って、いちいち手入力でやっているのかな。どうして間違えたんだろう。ちょっと間違えた経緯が気になる。

でも日英戦争でも、あながち間違いではない。英国人からしたら、薩摩なんて日本に変わりはないのだから。

 

薩英戦争砲台跡

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公園内には、レプリカの大砲もありました。錦江湾に砲身を向けています。

 

ちなみに、この台場公園の向かいは指宿辺り。鹿児島湾、錦江湾の入り口あたりでは、対岸との距離も比較的短く、砲台を構えるには打って付けの場所でありましょう。

とはいえ、この距離から当時の薩摩藩の大砲で、どこまで届くのかな。

 

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薩英戦争は文久3年(1863年)。発端は前年に起きた生麦事件というのは言うに及ばず。

 英国軍は、幕府から賠償金をもらったにも関わらず、薩摩にも出向いて関係者の処罰とさらなる賠償金を求めたのでした。

 

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しかしこの台場は、実際の薩英戦争では火ぶたを切ることがなかったという。

戦闘になったのは、もっと内側の鹿児島城下と桜島の間。

それゆえ被害もなく、当時の台場の原型をとどめている貴重な史跡なのだとか。

 

薩英戦争の結果

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薩英戦争の戦果は、引き分け。

というか見方によっては、薩摩藩の勝ちかもしれない。

薩摩側が射った砲弾が、旗艦ユーライアラスの艦橋に着弾し艦長と副官が戦死、他にも被害多数。

英国側の被害が想定していたのより大きかっただけでなく、市街地にむけての無差別砲撃や一般船への攻撃など非紳士的な戦闘も多数あり、いくら生麦事件の腹いせとはいえ少しやりすぎ。やはり英国海軍の負け。

 

戦闘3日目に、英国側の想定以上の被害と、燃料と弾薬切れのため薩摩を撤退、横浜へと帰ります。

当時無敵を誇っていた英国海軍の敗北ともみられる戦果は、当時の欧米諸国を驚かせたようです。

戦後、薩摩藩はイギリスと講和を結んで、むしろ英国に近づき、次第に倒幕への道を歩んでいきます。

 

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東京の台場公園と、鹿児島の台場公園。

大きさ規模は違えど、やはり鹿児島の方が南国チックですね。

 

子供の頃にやったモノ遊びを思い出す。「モノが持つルール展」無印良品 有楽町アトリエMUJI

無印の有楽町店に行った時に、たまたま開催されていた

冨井大裕さんの「コンポジションーモノが持つルール展」が個人的に当たりだったので、ちょっと備忘録。

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既製品にほんの少しだけ手を加えて、あらたな創造物(冨井さんが言う「彫刻」)を模索するアーティスト冨井大裕さん。

今回の展示は、無印良品で販売されている商品に手を少し加えて「彫刻」を創っています。

 

作品名 “薄く、曲がり、繋がる、姿”

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たとえばこれ。影がやばい。。。と思って見てたら

 

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無印良品で販売されている、壁掛式CDプレーヤーのスタンドを組み重ねて作製したもの。

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個人的なことだけど、子供の頃こういう遊びをよく1人で家でやっていました。

ただ積み上げたり繋げたりするのではなく、そのモノとは異なる別の何かを創る楽しみ喜び・・・。

そんな記憶が蘇って来たのか、でだしからワクワクしてきました。

 

作品名 “展開する9枚の仕切板”

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なんと贅沢な!

10歳の頃の自分が見たら、きっとそう思うに違いない。

 

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こちらは、縦に配列したもの。

 

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作品名 “波"

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作者の手にかかれば、ただのメモ用紙も波になる。

 

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きっと、勝浦か御宿あたりの波だな〜。

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作品名 “いつかギラギラする日”

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コンポジションーモノが持つルール 展

2018年4月20日〜6月24日

無印良品有楽町 2F ATELIER MUJI

10:00〜21:00