夢見る旅路

江戸東京発今昔物語

歴史探訪、名所、読書録、カメラ、日用品などの雑記帳、備忘録。

酉の市好きが紹介する!都内「酉の市」案内。浅草、新宿、足立区花畑、府中、雑司ヶ谷、四谷

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11月といえば毎年恒例の風物詩「酉の市」!

11月の「酉の日」に開催される縁起物の熊手を売る露店が立ち並びます。

酉の日は、12日に1回巡ってやってきて、令和2年2020年は、

11月2日に「一の酉」、14日に「二の酉」、26日に「三の酉」がやってきます。

 

今年は、新型コロナウイルス感染拡大もあり、なかなか例年のように「酉の市」へ気軽に行けるような雰囲気ではないので、昨年までに行った、東京近郊の「酉の市」を各神社(仏閣)ごとに、紹介していきます!

自分は、以前から「酉の市」の雰囲気が好きで、都内各所の「酉の市」をまわってきました。

拙い写真ですが、少しでも「酉の市」に行った気分になれたら嬉しいです。

 

なお今年(2020年)は、各「酉の市」ともに例年とは異なり規模縮小や一部では入場制限、事前の入場申込が必要なところもあります。

もし実際にお出かけされる方は、ご注意ください。

 

 

「酉の市」と言ったらここ! 浅草 鷲神社と長国寺

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まずは、「酉の市」といえば、真っ先に上がるのがここ!

浅草の鷲神社と長国寺の「酉の市」です。

此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじく 「たけくらべ」

と明治期に樋口一葉が、「たけくらべ」にも残しているほど昔から賑わっている「酉の市」。江戸時代から、数々の浮世絵にも描かれてきました。

 

 江戸の昔から「吉原のおとりさま」と言われるだけあって、「浅草」と言いますが、場所は吉原近く浅草の奥に位置する台東区千束。

最寄駅は東京メトロ日比谷線の「入谷」や「三ノ輪」が方が近いです。

 

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 鷲神社に入るとまずは、両脇から御祓をしていただけます。

 

f:id:odekakeiku:20201113060449j:plain参拝をするだけでも、長蛇の列。。。提灯が綺麗です。

 

f:id:odekakeiku:20201113060517j:plain「酉の市」の規模は都内随一。

 

f:id:odekakeiku:20201113060513j:plain多くの露店が所狭しと並びます。

 

f:id:odekakeiku:20201113061111j:plain露店も多く、中には小さな熊手や宝船などの小物も販売している露店もあるので「酉の市」初心者でも手が出しやすいかも。

 

f:id:odekakeiku:20201113060728j:plain「酉の寺」長国寺もすぐ隣。

 

f:id:odekakeiku:20201113060731j:plain隣接しているので、熊手を見て歩いていると、いつの間にか長国寺、鷲神社を行き来してることに気付きます。

 

f:id:odekakeiku:20201113060735j:plainちょっとした「熊手ミュージアム」の展示もありました。

 

f:id:odekakeiku:20201113060738j:plain江戸時代や明治時代の昔の熊手(今より地味w)も展示しています。

 

f:id:odekakeiku:20201113060748j:plain酉の市の日は街中がお祭り騒ぎのようで、近くでは露店が多く立ち並んでいました。

 

規模&アクセスともに文句なし!  新宿 花園神社

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続いて、浅草に続いて、東京の「酉の市」といえばここ!

西の新宿、花園神社の酉の市です。

 

新宿歌舞伎町の目と鼻の先、新宿三丁目や伊勢丹などからも近く、アクセスの良さもあって。例年多くの人出で賑わいます。

 

f:id:odekakeiku:20201113063549j:plain新宿という土地柄もあってか老若男女様々です。

 

f:id:odekakeiku:20201113063555j:plain規模も浅草に負けていません。露店が所狭しと立ち並んでいます。

 

f:id:odekakeiku:20201113063609j:plainミニ熊手千円。

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個人的な見解ですが、新宿の方が小さな熊手や縁起物には値段が付いているところが多いような気がします。

新宿は、「酉の市」目的ではなく、なんとなく立ち寄る人が多いからでしょうか。

 

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こちらも、飲食の露店が多く立ち並びます。


酉の市の元祖! 足立区花畑 鷲神社

f:id:odekakeiku:20201113215849j:plain東京北部の足立区花畑の地に、「酉の市」の元祖。花畑「鷲神社」があります。

元々は、江戸時代、ここで熊手を売っていたのが「酉の市」の始まりで、江戸市中から、馬や徒歩で参拝に来ていたそうです。

 

f:id:odekakeiku:20201113215854j:plain参道両脇に露店が並びます。

 

f:id:odekakeiku:20201113215857j:plain社殿の前に、熊手を売る露店が立ち並びます。

 

f:id:odekakeiku:20201113215902j:plain規模としては小さめですが、酉の市の元祖だけあって、あじわいがある気がします。

 

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都心からもあまりアクセスがよくないせいもあってか、人出も少なめ。

ゆっくりと静かに、元祖「酉の市」の雰囲気が楽しめます。

多摩地域最大の「酉の市」 府中大国魂神社

f:id:odekakeiku:20201113224912j:plain「酉の市」は都心の旧江戸地域に限ったことではなく、武蔵國総社の府中大国魂神社でも大きく開催しています。

 

f:id:odekakeiku:20201113224921j:plain提灯が何重にも飾られています。きっと夜は綺麗なんでしょうね。

 

f:id:odekakeiku:20201113224927j:plain広々とした境内に、開放的に熊手を売る露店が立ち並んでいます。

 

f:id:odekakeiku:20201113224933j:plain境内の中には「鷲神社」があります。

 

f:id:odekakeiku:20201113231014j:plainここは、社殿でも熊手をいただけます。

 

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1,000円の熊手と、3,000円の熊手(大)

その下の、かんざし守は500円也。

 

都電で行く「酉の市」特別御朱印と純金小判が当たる! 雑司ヶ谷鷲神社

f:id:odekakeiku:20201113232638j:plainここは都電で行ける「酉の市」です。

池袋から近く、閑静な住宅街の中にある雑司ヶ谷鷲神社。

 

f:id:odekakeiku:20201113232648j:plain規模は小規模ですが、毎年ここを目当てに遠方から来る人もいるとか。

 

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小規模な神社に、人が行列を作っています。

 

f:id:odekakeiku:20201113232715j:plainこちらの鷲神社では、毎年、酉の市特別御朱印をおわかちしていただけます。

 

f:id:odekakeiku:20201113232726j:plainそしてもう1つ人気なのが、「福包熊手守」をいただくと、抽選で・・・

 

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純金の小判(1枚)と、純銀小判(40枚)が抽選で当たるかも!

こちらは、規模は小さくとも楽しめる「酉の市」です。

 

アニメ映画「君の名は」の聖地 四谷須賀神社

f:id:odekakeiku:20201113234641j:plainここは、新海誠監督のアニメ映画「君の名は」で一躍有名になった、四谷須賀神社。

ここにも鷲神社があり「酉の市」が開催されます。

 

f:id:odekakeiku:20201113234652j:plainこちらも規模としては小さめですが

 

f:id:odekakeiku:20201113234701j:plain「酉の市」名物の「切山椒」や

f:id:odekakeiku:20201113234714j:plainかんざし熊手、そして、こちらでは日用品などが当たるクジを引かせていただけます。

 

f:id:odekakeiku:20201113234720j:plain四谷須賀神社といえば、あの階段!

 

f:id:odekakeiku:20201113234729j:plain「酉の市」を見に行きがてら、聖地巡礼も楽しめます!

 

まだまだ都内には多くの「酉の市」が開催されますが、少し長くなったので、この辺までで。(そのうち追記するかも)。

 

なお、2020年は新型コロナ感染拡大のため一部縮小や、入場制限、入場に事前申込制をとってるところもあるようです。ご注意ください。
 

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日光街道「幸手宿」を歩く。幸手観音、幸宮神社、聖福寺

今回は、埼玉県の「幸手」へ。

 

幸手は、日本橋から六つ目の宿場町

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幸手は、日光街道(奥州街道)の、お江戸日本橋から数えて六つ目の宿場町として栄えた町。現在は、北千住から東武スカイツリーラインの急行に乗って45分ほど。

ちなみに千住(北千住)は、日本橋から数えて一つ目の宿場町なので

(日本橋→)千住宿→草加宿→越谷宿→粕壁宿(現:春日部)→杉戸宿→幸手宿

と、45分で四つの宿場町を通ってきたことになりますね。

そう考えると文明の力で早くはなったけれど、はるばる遠くまで来た感があります。。

 

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ラジオ等でよく聞く埼玉県の「さって」を「幸手」と漢字で書くと知った時、ちょっとした感動を覚えた記憶があります。

そもそも、「さって」って地名、ただものではないような気がしてなりません。

想像するに、アイヌ語から来ているのでは?なんて思ったりも・・・

「さっ」で、始まる地名なんて「札幌」くらいしか思い浮かばないですしね。

以前、浅草の地名のところで、北関東にはまだアイヌ語の地名が残るところがあると書きましたが

 

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この「幸手」も古代アイヌ語説があってもいいような?と勝手に妄想します。

「幸手」の地名については、また後述します。

 

幸手駅

f:id:odekakeiku:20201008200006j:plain幸手に降り立って、一番に感じたのは、近代的な立派な駅舎!!

この駅界隈は、かつて幸手城があったところとされているそうですが、特に遺跡等は、なく見たところ案内板もないようでした。

 

f:id:odekakeiku:20201008200154j:plainですが、駅前が思っていた以上に寂しげ・・・

お地蔵様がおられます。

今回は、春の桜と秋の彼岸花で有名な「権現堂堤」まで歩いて往復する予定で、特に幸手については調べてきていません。

ともあれ行き当たりばったりの散策開始。

 

満福寺 幸手観音

f:id:odekakeiku:20201008200204j:plainしばらく歩いていると「安産子育 幸手観音 満福寺」という看板がありました。

 

f:id:odekakeiku:20201008200218j:plain気になったので、ちょこっと、お参りをさせていただきます。

 

f:id:odekakeiku:20201008200249j:plain入って左側に、延命地蔵尊。

うん?何か扉の前に置いてありますねー。

 

f:id:odekakeiku:20201008200224j:plain近づいて見てみると、お米かな?

近くの農家さんが、収穫されたばかりの新米をお供えしているのでしょうか?

 

f:id:odekakeiku:20201008200309j:plain南無地蔵菩薩。。。

 

f:id:odekakeiku:20201008201346j:plain本堂には、彼岸花が咲いておりました。

 

f:id:odekakeiku:20201008200323j:plainお寺と彼岸花は、やはり合います。

 

f:id:odekakeiku:20201008200342j:plainおや?何か、動きましたよ。

と、見てみたら、猫さん。

寺猫さんかな?お邪魔しました。

 

f:id:odekakeiku:20201008200401j:plain少し残念なのは、肝心の案内板の文字が薄くて読めません。。

 

f:id:odekakeiku:20201008223925j:plain帰ってから、画像編集ソフトで、文字が読めるところまでレタッチしてみました。

文中に「一色氏発願寺」と見えます。一色氏は、この辺りを治めていた幸手一色氏のこと。

戦国大名で丹後を治めていた一色氏と元は同じ、足利氏の一門です。

丹後の一色氏は滅びてしまいますが、幸手一色氏は関東に入国してきた徳川家康に仕え旗本として取り立てられます。

 

幸手の街

さて、権現堂堤へと向かいます。

f:id:odekakeiku:20201008230159j:plainお豆腐屋さん。幸手は街の規模にしてはお豆腐屋さんが多いような。

 

f:id:odekakeiku:20201008230203j:plain「季節限定 黒ごま寄せとうふ180円」気になります。

少し覗いてみましたが、ここで食べていけるものなのか、持ち帰りもできないし・・・少し迷った挙句、今回は諦めました。次回に。

 

f:id:odekakeiku:20201008230206j:plain古き町並みにはお馴染み「ハリウッド化粧品」の看板の残る化粧品店と、隣は美容室かな?。こういった懐かしき建物を見るだけで、来てよかったと思えてきます。

 

幸宮神社

f:id:odekakeiku:20201008230210j:plain幸宮神社なるお社を発見。お参りさせていただきます。

 

f:id:odekakeiku:20201008230218j:plain神社の境内にある遊具。ここで遊ぶ子供たちが神様に見守られているような。

公園に遊具は当たり前だけど、最近あまり見かけなくなった神社や仏閣に遊具って素敵です。

 

f:id:odekakeiku:20201008230221j:plain奥の本殿をチラッと見ると、んんん???

 

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これまた、見事な彫刻です。塀の隙間から覗かせていただきました。

 

f:id:odekakeiku:20201013224112j:plainこちらは武将が掘られています。一体なんの故事を彫ったものなんでしょう。

 

f:id:odekakeiku:20201013224124j:plainこっちは、中国風の彫り物。一体なんの故事に由来するものなのか、教養がないのが残念。

 

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竜の彫り物も見事なもの。大変、良いものを拝ませていただきました。

 

聖福寺

f:id:odekakeiku:20201013232056j:plainしばらく歩いていると、聖福寺というお寺を通りました。

一瞬通り過ぎましたが、奥に見えた門が気になり、少し引き返しお参りさせていただくことに。

 

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入ってすぐのところに

「君の主人は君自身だ 心をととのえていい主人を育てよう 仏陀」の偈が・・・

これはピンと来ました。「法句経」ダンマパダですね。有名な偈です。

幼稚園のポスターもあるので、このお寺は幼稚園も併設されているのでしょう。

園児にもわかりやすく偈が説かれています。保護者の方の目にも止まるでしょう。

素敵です。近くだったら毎月、ここだけでも見に来たいくらいです。

 

ついでに、東大のインド哲学仏教学者であった中村元先生訳も載せておきます。

自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?

自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

(第12章 自己 160)

岩波文庫「ブッダの真理のことば感興のことば」より

 

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

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  • 発売日: 1978/01/16
  • メディア: 文庫
 

 

 

f:id:odekakeiku:20201013232116j:plainすぐ隣には、芭蕉と曽良の句碑もありました。

「幸手を行ば栗橋の関 芭」

「松杉をはさみ揃ゆる寺の門 良」

石碑の解説によると、奥の細道から帰って4年後に作った句だとか。

 

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さて、最初に通りかかった時に気になった、こちらの門、やはりただものではないようで、「勅使門」と呼ばれ、日光参詣する将軍や例幣使のみが通ることを許された門だとか。

訪れた時は、併設する幼稚園の園児たちが遊んでい他ので、外から少し拝見させていただきました。

 

幸手、、思いの外、個人的には見所が多く、長文になってしまったので、続きは、次回に続くか、時間ある時に、ゆるきここに追記します。

 

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人間魚雷「回天」の島。大津島を訪ねて。山口県周南市

 

人間魚雷「回天」。

その存在を初めて知ったのは、小学校の時に見たテレビ番組だったと思う。

魚雷に乗り込み敵艦に体当たりするという無謀な戦法に、小学生の自分は凄まじい衝撃を感じた。

戦闘機で突っ込む神風特攻隊の方がまだマシだ。

そんな事を思ったりした。

 

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以来30年あまり、一度は訪れたいと思い続けた山口県大津島の回天訓練基地へ、数年前に訪れた。これはその時の記録です。

当時、個人的に「回天」の資料を読み込んでいたのもあってか、回天の地をめぐって帰ってきても、誰にも話す気にもなれず、ブログにあげるのも正直重く、、、気づけば数年が経ちました。

自分は30代ですが、先日ふと話した人間魚雷「回天」について、同世代の人の中には「回天」について全く知らない人が意外と多くいて、少しそのことにも衝撃を受けたので、戦後75年目の終戦の日に、少し上げてみようと思い立ちました。

 

回天の島 大津島へ

f:id:odekakeiku:20200815071448j:plain始発の羽田発広島行きの飛行機へ乗り込み、広島空港から広島駅までバス、広島駅から新幹線で徳山へ。

ANAの羽田→岩国便を利用しなかったのは、早朝の便が当時はまだ無かったからだったかな。

 

f:id:odekakeiku:20200815071452j:plain新幹線内から徳山の工業地帯。社会でやった山口県の宇部から岡山にかけて広がる、まさに「瀬戸内工業地域」。この工業地域の発展は、多くは戦後になってからのもの。

 

f:id:odekakeiku:20200815071523j:plain広島から新幹線こだまで30分弱「徳山」に到着。

 

f:id:odekakeiku:20200815071459j:plain駅構内には、徳山の主要産業である工業製品が陳列されていました。

 

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駅のお土産コーナーの「回天」グッズ。

訪れる前に「回天」に関する資料を読み込んできたせいか、こいうのに違和感を当時は感じていました。

 

f:id:odekakeiku:20200815071504j:plain大津島行きのフェリーは、徳山駅から歩いてすぐ。

フェリー乗り場には、平成18年公開の映画「出口のない海」の撮影で使われた実物大「回天」模型が置かれていました。

 

f:id:odekakeiku:20200815071540j:plain徳山→馬島まで、当時710円(2020年現在720円)。徳山10時40分発。

 

f:id:odekakeiku:20200815071543j:plain徳山を出て40分ほどの船旅で「馬島」に到着。

 

f:id:odekakeiku:20200815071549j:plain港近くに、「回天供養」の観音様が立っておられました。

 

f:id:odekakeiku:20200815071557j:plain回天記念館までは、なだらかな坂道を登って行きます。

初めてきた場所なのに、なんとなく懐かしいような感じ。

 

回天記念館

f:id:odekakeiku:20200815071628j:plain港から約10分ほどで、回天記念館に到着。回天で亡くなった搭乗員の名前と出身地が刻まれた石碑が、記念館入口まで並びます。

 

 

f:id:odekakeiku:20200815071729j:plain回天を創案し、自らも出撃して戦死した仁科関夫少佐の遺品。

 

f:id:odekakeiku:20200815071749j:plain回天上部ハッチ。戦後、海底から引き上げられたものだそうです。見ていて、ただただ重い。。。

 

f:id:odekakeiku:20200815071703j:plain再現された、回天内部。人一人座れるのがやっと。当時としてはハイテク兵器だが、あまりにも簡素。これが、自分の棺になると思って乗り込む覚悟は如何に。

 

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「浮きつ島鼓海を訪ふ」 森繁久弥

天を回せよ

今は嗚呼

鼓海の波は静かなり

その勲しの

あとや 哀し

大津島に鎮もれる

魂々よ

静かに思ふ

人生に無駄なものが

あらふか

眠れ友よ いかにも

碧き 海に

平成五年五月二十二日作

 

発射試験場跡へ通じるトンネル

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現存する建物でモニュメント的な存在になっている、回天訓練基地跡(酸素魚雷発射試験場跡)は、トンネルを抜けた先にある。

 

f:id:odekakeiku:20200815071902j:plain当時はレールが敷かれており、トロッコを使いトンネルを抜けて回天は運ばれていた。入り口の幅は3.5m。高さ4m。長さ247m。

 

f:id:odekakeiku:20200815071910j:plain搭乗員もまた、このトンネルを通って訓練場へ向かったかと思うと感慨深い。

 

f:id:odekakeiku:20200815071853j:plainトンネルの途中に、海へと開いた横道。空襲時指揮所(通信所)と説明があった。

回天搭乗員の全体の戦死者は106名だが、離島のこの基地への空襲もあり、搭乗員の中には空襲時に被弾して亡くなった搭乗員も2名含まれている。

 

f:id:odekakeiku:20200815071852j:plain途中から、トンネルの横幅が広くなっている。この辺りは、複線で広くしていたようです。

 

f:id:odekakeiku:20200815071909j:plain当時を回想する大きな写真の展示。

実際に使用されていたトンネルの中で解説を読むのも、どこか重く感じられた。

 

f:id:odekakeiku:20200815071931j:plain回天の乗組員たちは、どんな思いでこのトンネルを抜けて、訓練に向かったのだろう。

 

 

回天訓練基地跡(酸素魚雷発射試験場跡)

f:id:odekakeiku:20200815092133j:plain現在、回天訓練基地跡としてシンボル的な存在になっているこの場所は、もともとは昭和14年(1939年)に建設された「九三式酸素魚雷」の発射試験場だった。

 

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魚雷は、雷跡を引く。当時の魚雷は、発射されたら方向転換はできないので、撃たれた側は雷跡を見ながら魚雷を避けることができた。

しかし、日本海軍の開発した酸素魚雷は、排気ガスが炭酸ガスのため海水によく溶けて雷跡をほぼ残さない。魚雷が発射されても、どこを通ってくるかわかりにくいため避けることが難しくなる。

さらに酸素式魚雷は、ステレス性が高いだけでなく、威力が強く航続距離も長かった。

 

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酸素魚雷は特殊な構造のため開発は困難を極めたが、日本海軍がいち早く実用化に漕ぎ着けた。

その酸素式魚雷の発射試験場が、ここ大津島だったのである。

 

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昭和19年9月5日からは、この施設を利用して、回天の発射訓練が行われるようになった。その回転も「九三式酸素魚雷」をベースに改良し人が乗れるようにしたもの。

日本海軍が世界に先駆けて開発した、酸素魚雷に、人間が乗り込む必死必殺の兵器になる。

そこまで戦局が悪化し「回天」という人道的に問題のある兵器を作らねばならない段階にまで至っていたことなど、改めてこの地を踏んで、いろいろな思いが浮かんできた。

 

 

特攻の島1

特攻の島1

  • 作者:佐藤 秀峰
  • 発売日: 2019/12/01
  • メディア: Kindle版
 

 

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柿田川湧水群。日本で最も短い一級河川は、家康も晩年を過ごしたいと思っていた富士山からの雪解け水が湧き出る城跡。

今日3月22日は「世界水の日」

地球的視点から、水の大切さと貴重さを世界中の人々が共に見つめ直す日にしようと国連が制定。

そこで今回は以前よく訪れていた静岡県清水町にある

名水百選「柿田川湧水群」について。

新型コロナが流行っているので「霊峰富士から湧き出る神聖な水で流す」との願いも込め、新型コロナの1日も早い収束(終息)を願いつつ

 

柿田川湧水群

f:id:odekakeiku:20200322221028j:plain以前、よく仕事で訪れていた静岡県清水町。時間調整などで時間ができた時に、必ず訪れていたのが「柿田川公園」です。

疲れていても、どんなに嫌なことが続いても、ここに来るとなぜか元気が湧き出てくるような不思議な公園でした。。。

 

f:id:odekakeiku:20200322221039j:plainここは、「柿田川湧水群」として名水百選にも選ばれ、霊峰富士をはじめ周辺の山々に降った雨水や雪解け水などが、湧き出る場所。

交通量の多い、国道1号線に隣接しているとは到底想像ができないほどの自然と、至るところでこんこんと湧き出る水のせいか、公園全体に神聖な雰囲気が漂います。

 

第1展望台

f:id:odekakeiku:20200322221116j:plain富士山周辺に降った雨や雪が、ここ柿田川湧水群に湧き出るまでの期間は、およそ26年〜28年の歳月がかかっているとか(国土交通省のトリチウム濃度分析による)。

12月には、遡上してきた鮎を見ることもできるそうです。

 

第2展望台

f:id:odekakeiku:20200322221120j:plain以前この場所には紡績工場があり、その井戸として利用していたところからも、今でもこんこんと水が湧き出ています。

濃いコバルトブルーの色が印象的です。

 

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時間の許す限り、いつまでも滞在したい、なんとも言えない心地の良い公園です。

 

貴船神社・泉頭城

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縁結びの神様と知られる京都に本宮のある「貴船神社」。

祭神は、水神の高龗神(たかおかみのかみ)。

この神社のあたりは、戦国時代に北条氏が築城した「泉頭城(いづみかしらじょう)」の「西の丸」にあたるとのこと。

泉頭城は東西400m、南北500mほどの戦国期の城郭で、伊豆を守るための国境の城としての役目を果たしていたと考えられています。

豊臣秀吉による小田原征伐の時に廃城。

元和元年(1615年)徳川家康は、泉頭の城郭が大変気に入り、晩年を過ごす場所として隠居御殿の城を造営するように土井利勝、本多正純に命じますが、翌年、家康が没したために取りやめになります。

 

f:id:odekakeiku:20200322221136j:plain大正の頃までは、その泉頭城の城郭もよく残っていたそうです。

その後、この地は工場地となり、一時期は排水によって柿田川が汚染されることもあったそうですが、自然環境保全運動の高まりもあり工場が移転され、現在のような憩いの場所に戻ったそうです。

 

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また、近くに行くことがあったら、是非にも立ち寄りたい場所です。

画像は、2013年4月の新緑の頃に訪れた時のものです。

今現在とは異なっている場合があります。

パナソニック「LUMIX DMC-GF3」で撮影。 

 

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どれが本当のお仙の笠森稲荷?。谷中界隈に三ヶ所ある江戸三美人の一人「笠森お仙」に関連する場所。

今日、2月24日は、江戸の三美人の一人「笠森お仙(かさもりおせん)」の忌日。

江戸の三美人(明和の三美人)の中でも、特に人気のあったお仙さん。

その笠森お仙にまつわる場所が、台東区谷中界隈に三ヶ所あります。

以前から、谷中散策をしていて、この三ヶ所の「お仙」スポットの違いが気になって仕方なかったので、ちょっと調べてみました。

笠森お仙

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まずは、「笠森お仙」について。

「笠森お仙」こと「お仙」さんは、宝暦元年〜文政十年(1751〜1827)江戸時代後期、当時を代表する絶世の美女と言われた実在する人物。

江戸谷中笠森稲荷境内にあった水茶屋「鍵屋」の鍵屋五兵衛の娘で、鍵屋の看板娘として「鍵屋」を支えていたようです。

かねてより美人との噂があり、絵師の鈴木春信は「お仙」を錦絵で描いたところ、その錦絵は大評判となり、お仙さん見たさに水茶屋「鍵屋」には多くの人で溢れかえったとのこと。

笠森お仙は、錦絵、絵草紙、芝居のモデルになっただけでなく、手拭いや人形などのお仙グッズも販売されるほどだったようです。

 

「大圓寺」の笠森おせん鈴木春信と永井荷風の碑

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東京メトロ千代田線の「千駄木駅」から三崎坂を上って行った途中に「大圓寺」(大円寺)というお寺があります。

入り口にも「お仙」の案内看板があり、三崎坂も谷中散策ではよく通る道なので、他の「お仙」スポットよりも目にとまりやすいです。

 

f:id:odekakeiku:20200224221034j:plain境内には、「錦絵開祖鈴木春信の碑」↑と、

 

f:id:odekakeiku:20200224221026j:plain永井荷風の碑文で「笠森阿仙乃碑」が建っています。

 

f:id:odekakeiku:20200315170136j:plain永井荷風は、笠森お仙をモデルにした小説「恋衣花笠森」を執筆しています。

二つの碑は共に大正8年建立。「お仙に関連の深い笠森稲荷を合祀している大円寺に」立てられたと、台東区教育委員会の案内板にありました。

大圓寺は、絵師鈴木春信、永井荷風とビッグネームも登場し、笠森お仙スポットの第一の感があります。

 

「功徳林寺」

f:id:odekakeiku:20200224220304j:plain続いて、谷中の人気スポット「朝倉彫塑館」から、250mほど南に行ったところにある浄土宗功徳林寺。

 

f:id:odekakeiku:20200224220319j:plainこちらのお寺の入り口にも、お仙ゆかりの寺として案内板が設置されています。

「当時大評判になった、その笠森稲荷堂が境内にあります。ご自由にご参拝ください。」とあるので境内に入ってみると

 

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ちょっと真新しい感じの、お稲荷さんがありました。 

ふむふむ、ここが、お仙さんの笠森稲荷なんですねー。

と、思っていたら・・・↓

 

上野桜木「養寿院」

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谷中から言問通りに出て、鶯谷方面へ行くと「おせん」と書かれた看板の、まさに茶屋風な建物があります。

以前から、この「おせん」の看板が気になっていたのですが・・・。

ある日、この上野桜木界隈を散策している時に、その「おせん」と書かれた看板の茶屋風の建物(廃業されてるようです)の、向かいに養寿院という小さな寺院があり

 

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小さいながらも大変良い雰囲気を感じて、お参りさせていただくことにしました。

正面の本堂でお参りを済ませて、帰ろうと振り返ると・・・

 

f:id:odekakeiku:20200224230223j:plain門の横に、、、んんん??

笠森稲荷?

 あれまぁ。。ここにも笠森稲荷がありました。。。

 

いったいどれが、本当の笠森お仙の笠森稲荷?

少し整理すると

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1.お仙に関連深い笠森稲荷を合祀されていると案内板に書かれている谷中「大圓寺」。鈴木春信と永井荷風のお仙の石碑有り。

 

f:id:odekakeiku:20200224220313j:plain2.谷中のお仙ゆかりの寺と称する「功徳林寺」の笠森稲荷堂。

 

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3. そして、言問通りの上野桜木にある養寿院の笠森稲荷。

 

いったいどれが、本当のお仙の「笠森稲荷」なのでしょうか?

ガイドブックなど色々と調べてみましたが、あまり詳細に記載されている本が見つからず・・・。

 

台東区史

そこでこのサイトでは何度かお世話になっている困った時の「台東区史」を紐解いてみることに。以前、台東区史を読んでいた時に「笠森お仙」の記載があったような。

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台東区史4冊ある中の、通史編IIに「笠森お仙」についての記述がやはりあり、なんとそこに、この三ヶ所の笠森お仙にまつわる由来について記載されてありました。

以下、台東区史を引用しながら見ていきます。

 

お仙のいた鍵屋という水茶屋は現在の位置でいうと功徳林寺(谷中七ー六ー九)の笠森稲荷の門前にあった。

台東区史II P50

少しややこしいですが、 お仙さんのいた水茶屋「鍵屋」現在の功徳林寺にあったそうです。

台東区史を読み進めます。

三崎坂の中程に大圓寺がある。ここには「錦絵開祖鈴木春信碑」がある。また、永井荷風の碑文で「笠森阿仙乃碑」が建っている。大圓寺には享和年間に小石川白山から移した瘡守稲荷があり、よく笠森稲荷と混同された。

台東区史II P50

 台東区史を読んで少し驚きましたが、区史によると、大圓寺には鈴木春信と永井荷風の石碑がありますが、こちらの稲荷は、よく笠森稲荷と混同されたお稲荷さんだったそうです。

区史をさらに読み進めます。

つぎは上野桜木一丁目の養寿院の笠森稲荷である。この稲荷は明治三年、天王寺中門前町から移したもので、これがお仙の茶屋のあった稲荷である。

明治の初めに天王寺は縮小され、子院であり稲荷の別当にあたる福泉院が取り潰しにあったので、笠森稲荷を引き継いだのが養寿院であった。

さきの功徳林寺は、明治十六年の創建で、現在の笠森稲荷はその後の勧請であるから、お仙の時代とものとは違う。

台東区史II P50 

 台東区史によると、お仙さんのいた鍵屋の笠森稲荷は、3番目の言問通り沿いにある養寿院の笠森稲荷こそが、それであると結論づけています。

しかし、どれが本物、偽物なんて、恐れ多すぎて凡人の私どもには選別できかねます。

区史で「お仙の時代のものとは違う」と書かれた功徳林寺の笠森稲荷も、区史が認めるように、史実ではお仙さんのいた水茶屋「鍵屋」があった場所であり、

よく混同されたという大圓寺のお稲荷さんも、鈴木春信、永井荷風のお仙さんの石碑が建ち、江戸から明治大正と多くの人がそれぞれに「お仙さん」思いを馳せた場所だったのかもしれません。

 

 ちなみに、笠森稲荷の水茶屋「鍵屋」の看板娘お仙さんは、明和七年二月に突如、姿を消します。

「とんだ茶釜が薬缶に化けた」という詞がその頃はやったようで、お仙を「茶釜」に喩えて、突然いなくなったお仙を江戸の人々は惜しんだとのこと。

実はお仙はこっそりと、八代将軍徳川吉宗が創始した「御庭番」を務める旗本、倉地政之助に嫁いでいたそうです。九人の子宝にも恵まれ、七十七歳まで生き天寿を全うしたそうです。

 

〜向こう横丁のお稲荷さんへ

一銭あげて ざっと拝んで お仙の茶屋へ〜

童唄

 

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2月15日は西行忌「願わくば花の下にて春死なむ・・・」。そんなにダメな歌?「嘆けとて月やは物を思はする・・・」百人一首86番

今日、2月15日は「西行忌」

願わくは花の下にて春死なん・・・

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史実に残る実際の西行の忌日は、旧暦の文治6年2月16日。

西行の残した有名な歌の一つに

「願わくは 花の下にて 春死なん  その如月の望月のころ」

できることなら、春、桜の下にて死にたい。二月のお釈迦様が亡くなった、あの満月のころに。

という歌から、実際の忌日より1日早い、お釈迦様の入滅した日「涅槃会」である2月15日にあわせて、西行法師の忌日としている。

旧暦の2月15日は、新暦の3月中旬〜下旬。実際に桜の花が咲く頃。

権力や欲に貪る生臭坊主ならいざ知らず、西行ともあろう孤高の僧侶が「できることなら桜の下で死にたい」というのは、少し俗な感じがして違和感を感じるが、「二月のお釈迦様亡くなった満月の頃に」という下の句で、その上の句の俗な感じが薄らぐというより、全体的に深みが出てくるように思う。

この歌は、上の句を「俗」、下の句を「仏」とすることで、一見「俗」な願いであり、また「聖」な願いでもある、西行らしいと言えば西行らしい調和の取れた歌に仕上がっているように勝手に思うのです。

 

西行は、若き頃のゴータマと同じく、苦悩する若者だったのかもしれない。

天皇を直接守る武家の家に生まれ、家柄もよく、その当時として生まれながらにして恵まれて育った。

しかし、結婚をして2人の子供ができ、4つになる娘を溺愛する日々を過ごしていた23歳の時、何を思ったか、妻とその子らを残し、恵まれた地位も捨てて突如出家する。

出家時、泣きすがってきたきた溺愛の娘を、蹴飛ばして突き放し家を出たという。

それからの西行は、ご存知の通り日本各地を放浪し多くの歌を残した。

 

嘆けとて月やは物を思はする・・・(小倉百人一首86)

西行は「月」を題材にした歌を多く残している

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「嘆けとて 月やは物を思はする かこち顔なる 我が涙かな 西行法師」

嘆きなさいと言って、月が私を物思いにさせるわけではないのに、月のせいだと言わんばかりの顔をして、流れ出る私の涙よ

 

百人一首にも入っている歌(86番)として知られ、自分も中学時代、百人一首を覚えた時、なんとなく心情が理解できるようで、百人一首の中でも好きな歌の1つだった。

 

しかし、後に自分が大人になって百人一首関連の本を読んでいくなかで、この歌は一部の著名な文化人からは、すこぶる評判が悪いことを知った。

 

西行は他にもいい歌があるのに・・・

なんでこんな歌を定家が百人一首に選んだのか理解できない・・・云々。

 

 田辺聖子もこの歌に対して悪評を立てる文化人の一人で、著書「田辺聖子の百人一首」の中で

この歌も、西行の歌としておよそ魅力のない歌で、古来からいぶかしがられている。

(中略)

この「かこち顔」の歌は若い時の歌らしいが、どこがいいのか、現代人にはわからない。老いた定家の心にひびく何かがあったのかもしれないが、百人一首に折々ある「なんでこんな歌が」の一つである。

仕方がないから文法のおさらいでもしましょう。

「田辺聖子の小倉百人一首」角川文庫

 

と、原稿の文字を埋めるためか、この歌の内容如何よりも文法のおさらいに入ってしまうご始末。。。 

 

月は、ありのままの月のままであって、それを勝手にどう捉えるかは、その月を見た人間次第。

だけれども、そんなことはわかっているのだけれども、月のせいだと言わんばかりの顔をして、月のせいにしてしまいたいほどに、涙が自然と溢れ出てくるんだよ。

この歌は、仏門に入る前の西行の若い頃の作品だというのも魅力的で、「月」はありのままの「月」なんだ、「月」でしかないんだと言う「客観」と、でも「かこち顔」して涙が自然と出てくると言う「主観」とをうまく掛け合わせていて、感情を交えず正しく見る=仏教で言う「正見」に気づいているようで、そこに重きを置いている作風も若いとはいえ凄いなーと、凡夫の私は思ふのです。

そんなにダメでしょうか?この歌。

 

西行全歌集 (岩波文庫)

西行全歌集 (岩波文庫)

  • 作者:西行
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/12/18
  • メディア: 文庫
 
田辺聖子の小倉百人一首 (角川文庫)

田辺聖子の小倉百人一首 (角川文庫)

  • 作者:田辺 聖子
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1991/12/06
  • メディア: 文庫
 

 

 

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1月29日は「草城忌」 食欲をそそられる日野草城の食の俳句と、百人一首と

f:id:odekakeiku:20200129143332j:plain「春暁や 人こそ知らね 木々の雨」草城

 

1月29日は「草城忌」

今日、1月29日は「草城忌」

 昭和初期の俳壇に新しい風を吹き込んだ俳人、日野草城(ひのそうじょう)の忌日。

 

f:id:odekakeiku:20200129161029j:plain 先日、久しぶりに日野草城の句集を、図書館で見つけて借りて読んでいたので、今回は草城の句を、ちょこっとご紹介したいと思います。

日野草城の俳句との出会いは、学生時代によく通っていた図書館にて。

何気なく手にとった草城の句集でしたが、草城の句は日常の光景を柔らかくユーモラスな表現を含んでいて、当時まだ10代の自分にもわかり易く親しみやすい作風に、いつしか(受験勉強そっちのけで)引き込まれて読んでいました。

中でも食べ物に対する描写は、情景をありありと連想させ、当時10代のいつでも空腹だった自分には、読むたびに食欲をそそられるものがありました。

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「きのこ飯 ほこほことして 盛られたる」草城 花氷(秋)

 

日野草城

まずは、簡単に草城について。

日野草城 明治34年(1901年)7月18日〜昭和31年(1956年)1月29日

本名は、克修(よしのぶ)。

東京 上野の生まれで、俳句を嗜む父の影響もあって中学時代から「ホトトギス」に投句。

京都大学法学部を卒業した後、大阪海上火災保険に入社し出世コースを歩むも、戦後、病気のため退社。

昭和10年(1935年)に発表した「ミヤコホテル」は、それまでの俳句にない大胆な色気を伴う表現で、室生犀星(絶賛)vs中村草田男(批判)らによる「ミヤコホテル論争」と言われるほどの論争にまで発展。

新興俳句の先駆けとして様々な句を発表し続け、昭和11年には 高浜虚子の怒りに触れて「ホトトギス」を除名処分。

晩年は、病気、貧困、住むところにも苦労しつつも、妻に支えられながら創作活動を続ける。

草城が亡くなる前年、虚子が見舞いに訪れ、再び草城は「ホトトギス」に迎えられる。

昭和31年に亡くなるまで「花氷」「旦暮」「昨日の花」「人生の午後」など多くの句集を発表。

 

草城と食

以下、個人的に草城の「食」についての句(一部)を集めてみました。

 

「かんばしく 珈琲たぎる 余寒かな」花氷(春)

「春の夜や 檸檬に 触るる 鼻の先」花氷(春)

「子を産んで やつりにけりな 桜餅」花氷(春)

「サイダーの うすきかおりや 夜の秋」花氷(夏) 

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「ところてん 煙のごとく 沈みをり」花氷(夏)

「うすまりし 醤油すずしく 冷奴」花氷(夏)

「夏みかん ざくりざくりと むかれけり」花氷(夏)

「くちびるに 触れてつぶらや さくらんぼ」花氷(夏)

「舌に載せて さくらんぼうを 愛しけり」花氷(夏)

「きのこ飯 ほこほことして 盛られたる」花氷(秋)

「朝寒や 白粥うまき 病みあがり」花氷(秋)

「白菊や 風邪気の妹に 濃甘酒」花氷(秋)

「寂しさに 葡萄の房を 握りけり」花氷(秋)

「雪の夜の 紅茶の色を 愛おしけり」花氷(冬)

 「雨の夜の こころさぶしき ゼリーかな」昨日の花

「みづみづし セロリを噛めば 夏匂ふ」昨日の花

「七月の つめたきスウプ 澄み透り」昨日の花

 「マカロニが 舌を焦しぬ 風涼し」昨日の花

「クロイツェル・ソナタ氷片 珈琲に」転轍手(ベートーヴェンを聴く レコードコンサート一句)

「ももいろの ミリオンダラー 妻に飲ます」転轍手(愛しき消費ありがたしボーナス)

「子のグリコ 一つもらうて 炎天下」転轍手(あやめ池遊園)

 

草城と日常 

日常やサラリーマンから見た情景も当時としては斬新で注目を集めます。

「春暁や 人こそ知らね 木々の雨」花氷

「春愁を 消せとたまひし キスひとつ」花氷(春)

「夕風に へらへらと笑ふ しびとばな」花氷(秋)

死人花→彼岸花

「初雪を 見るや手を措く 妻の肩」花氷(冬)

「早寝して  夢いろいろや 冬ごもり」花氷(冬)

「風邪の子の 枕辺にゐて ものがたり」花氷(冬)

「静けさや 炭が火となる おのずから」花氷(冬)

 「扇風機 つばさが消えて 風となる」昨日の花(事務室)

「をさなごの ひとさしゆびに かかる虹」昨日の花(二尊院)

 「重ね着の 中に女の はだかあり」昨日の花

「懐に ボーナスありて 談笑す」昨日の花

「小市民 金を預けて 出て寒し」転轍手

 

戦前のサラリーマン時代の作品は、生き生きとして温かい日常の情景を描いた句が多い気がしますが、戦中の暗い時代のいわゆる戦争俳句、そして戦後の病床期はガラッと作風が変わり、どの作品も哀愁が漂います。

 

「ちちろ虫 女体の記憶 よみがへる」人生の午後

「死ぬときの 鼠の声を 聴きにけり」人生の午後

「裸婦の図を 見てをりいのち おとろへし」人生の午後

「所得税 すくなきを うらやまけり」

「すずらんの りりりりりりと 風にあり」銀 

「夏布団 ふはりとかかる 骨の上」人生の午後 

 

草城と「小倉百人一首」

 草城は学生時代、短歌にも興味をしめし「古今集」「新古今集」はじめ多くの古典を好んで読んでいたそうです。

そのせいもあってか、草城の句の中には、(なかでも)「小倉百人一首」に登場する歌を連想させたり絡ませたような、洒落やユーモアのある句も多く遺しているように思えます。

 

「千早ぶる 神代の石や 鮓(すし)の石」草城 花氷 

 『ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは』在原業平(17)

 

「酌の手を とめて千鳥が 鳴くといふ」草城 花氷(冬)

『淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いくよ寝覚めぬ 須磨の関守」源兼昌 (78)

 

「玉の緒よ 絶えねば絶えね 河豚汁(ふぐとじる)」草城 花氷(冬)

『玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする』式子内親王(89)

 

「きりぎりす 鳴かねば青さ まさりける」草城 青芝(秋)

『きりぎりす なくや霜夜の さむしろに 衣かたしき 独りかも寝む』九条良経 (91) 

 

「これやこの  珍(うづ)のバナナは そろそろ剥く」草城 人生の午後

『 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」蝉丸(10)

意味はともかく、「これやこの」を俳句に用いる感性が、病床にあっても斬新な気がします。

 

他にも、百人一首に出てくる歌の中の句を、いたるところで見かけます。

草城の遺した句の全てを鑑賞したわけではないですが、改めてざっと見ただけで、これだけあるので(実際はもっとありましたが割愛しました)草城は「小倉百人一首」が好きだったのかもと思ってしまいます。

 

また草城は、百人一首のゆかりのある、天智天皇を祀った近江神宮にも参拝し句を詠んでいます。

 「みそなはす 皐月の湖の てりくもり」草城 第五句集(近江神宮)昭和十六年

 近江神宮が創祀されたのは、草城が訪れた(もしくは句を詠んだ)前年の昭和15年。

 現在では、近江神宮と言えば「競技かるた」の「クイーン戦」「名人戦」が開催され、漫画やアニメの「ちはやふる」でも登場する神社として有名ですが、当時は、天智天皇を祀るというくらいで、現在のように百人一首と関連がある神社とも一般的に認知されていなかったようにも思えます。

 昭和初期、それまでの古い体質の俳壇に、旋風を巻き起こした草城ですが、古典の「小倉百人一首」などに登場する歌が、草城の遺した俳句のなかに見え隠れするというのも、個人的に興味深く感じます。

 

参考図書

・「日野草城句集 室生幸太郎編」 角川書店発行

・日野草城句集 昨日の花 邑書林句集文庫

・昭和俳句文学アルバム24「日野草城の世界」桂信子編著 梅里書房

 

草城句集―花氷 (京鹿子叢書)

草城句集―花氷 (京鹿子叢書)

  • 作者:日野草城
  • 出版社/メーカー: 沖積舎
  • 発売日: 1996/09/01
  • メディア: 単行本
 

 

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