浅草の地名の由来は、チベット語か?アイヌ語か?
先日、浅草寺の境内で歴史散歩をされているグループがあった。
案内役と思われる年配の男性の方が「実は、浅草の名前の由来はチベット語だっていう説があるんですね〜」と説明されていた。
たしかに、浅草とチベット語で思い出すのが、浅草神社で三社祭の時にだけ奉納されるびんざさら舞。
この楽器の起源はチベットで、「ビンザ・サラ」はチベット語で「振り動かすと音を出す木」という意味だとか。
話は戻して、自分も何度か聞いたことのある「浅草の地名の由来はチベット語」説。
「浅草の地名の由来はチベット語」説は本当にあるのか?いつ頃から誰が言い出したのか?
アイヌ語から来たという説も聞いたことがある。
浅草の地名の由来については、個人的に昔から少し気になっていたので図書館で調べてみた。
角川日本地名大辞典 13 東京都 角川書店
地名と言えば、昔からこの本。
角川日本地名大辞典 13 東京都
各都道府県に1巻、全47巻ある。
この「13巻 東京都」も1,200ページを超える分厚い辞典だ。
あさくさ 浅草<台東区>
〔中世〕鎌倉〜戦国期に見える地名。豊島郡のうち。
深大寺(調布市)と並び、奈良期以来の由来を伝える古刹金龍山伝法院浅草寺を中心とする地域称。
寺名が転化したもので、早く「吾妻鏡」養和元年7月3日条には、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)本殿造営に「浅草大工字郷司」が起用された旨が見える。
角川日本地名大辞典13東京都 P59 角川書店 (オンデマンド版)
地名由来も事細かく載っている角川地名大辞典には、意外にも浅草寺の寺名が転化したものとしか記載されていなかった。
他にも、浅草寺の創建など細かく説明されているが、浅草の由来までは見つけられなかった。
たしかに金龍山伝法院浅草寺は、観音様を本尊とし、元々は天台宗の寺院だった。
天台宗といえば、開祖最澄が密教を初めて日本に伝えたと言われている。
天台宗、密教、チベット語・・・とつながらなくもない気もする。
自分も10年以上も前、チベットを旅して寺院巡りをしたが、チベットは観音菩薩が降り立った地とされ、観音菩薩とチベットとは切っても切れない。それにダライ・ラマ法王も観音菩薩の化身とされている。
東京の地名由来辞典 東京堂出版
続いて、「東京の地名由来辞典」というタイトルからして直球本。
ちょうど偶然にも表紙の装丁も浅草寺の雷門。
これは期待できそうだ。
浅草 あさくさ (台東区)
浅草の称は、「吾妻鏡」に、治承五年(1181)に鶴岡八幡宮の造形に際し、浅草の大工を召すように沙汰したと記されているのが初見とされている。
地名としての浅草の由来は定かではないが、草深い武蔵野の内で草のあまり茂っていない地だったため、浅草(浅茅)などと言ったとするのが、もっとも有力な説となっている(江戸往古図説・江戸砂子・求涼雑記)。
他にも、麻草や藜(あかざ)などを起源とする説をはじめ、アイヌ語やチベット語を語源とする説などもあるが、いずれも信用性に乏しい。
(以下略)
東京の地名由来辞典 P13 作者:竹内誠 東京堂出版
アイヌ語やチベット語を語源とする説もあるという記載はあったが、こちらも残念ながら詳細までは、わからなかった。
台東区史 通史編II 台東区刊
先日、谷中の「谷中いろは茶屋」を調べた時に参考にした区史。
もしや地名由来も詳しく載っているかと思い再び開いてみた。
さすがは、区史!
地名のいわれの項に、浅草のいわれについても事細かく記載されていた。
由来の定説では、先の2書の記載と同じく「吾妻鏡」や「江戸砂子」「江戸往古図説」の引用で説明しているが
浅草の地名由来については、定説の他に、幾つかの説がある。
浅草寺の網野宥俊は『浅草寺史談抄』の中で、それら諸説をつぎのように分類している。
(イ)浅芝草を起源とする説
(ロ)アイヌ語を起源とする説
(ハ)チベット語を起源とする説
(ニ)麻草を起源とする説
(ホ)アカザ草を語源とする説
(ヘ)その他の雑節について
台東区史 通史編 II P38
今まで上がっていた定説以外にも、こんなに異説がある。
落語ではないが「〜ではないかなと思うんだよ」と庶民でも個人的な見解を言えば、立派な説になりそうだ。
それだけ昔から、身近な「浅草」の地名の由来は、江戸庶民の関心ごとの1つだったのかもしれない。
アイヌ語説から見ていく
(ロ)の説はアイヌ語のアツクサにちなむという。"アツ"は"海"、"クサ"は"越す"を意味する語だそうですある。すると、"アツアクサ"は"海を越す"という意味になる。
台東区史 通史編 II P38
有名な話では、東北や北関東にアイヌ語由来の地名が残っている。
浅草も江戸以前は、浅草湊と呼ばれ海運の拠点だった。入江だったと考えれば、海を越すところ???なのかな。
う〜〜んやはり、少しピンとこない。
続いて、チベット語説
(ハ)の説は河口慧海師の唱える説だとして、網野は「師の説によると、アーシャーは所在地を示し、クシャは茅または聖という二つの意味があって、一はチガヤの生えているところ、一は聖(きよ)いとか栄光ある土地という意味の二様に解釈され、浅草は往古チガヤの生えているところであり、また観音像がお堂に奉られるようになって、聖いお方のいますところという意味で名づけられたかも知れない」と述べている。
台東区史 通史編 II P38
な、なんと!チベット語説を唱えたのは河口慧海(1866〜1945)だった。
日本人として初めてチベットに足を踏み入れた、明治の黄檗宗の僧侶であり冒険家。
目黒の五百羅漢寺(当時は本所にあった)で、出家。
日本人であるとわかると都合がわるいので、中国人に扮したり、チベット人に扮したりして当時、鎖国状態だったチベットを冒険。
チベットのお寺の大学に潜り込んで学んだり、たまたま脱臼を治したことで評判が募り医者としても活躍する。
自分もチベット入りする前に師の伝記を読んだことがあったので、びっくら驚いた。
区史に戻る。
だがこのチベット語説はあまりにこじつけ過ぎのようにみなせる。何も、チベット語まで持ち出すこともないであろう。網野も、この説は紹介しているに過ぎない。
台東区史 通史編 II P38
と区史では、このチベット語説を一蹴している。
残念だけど・・・自分もそう思う。
チベットから帰国した河口慧海師は、チベット旅行記「西蔵旅行記」を出版し、一躍、時の人となる。
恐らくその時に、ふと浅草の地名を、チベット語から紐付けして「浅草の地名の由来はチベット語」説を提唱したのだと思う。
こじつけ過ぎと思われようが、何も悪いことではない。
冒険家は「未知の何かがあるかもしれない」「じつは、こうなっているのかもしれない」という仮説なしには冒険ができない。
ともあれ、浅草の由来は定説のなかの「草深い武蔵の地にあって、草のあまり茂っていないところ」(江戸往古図説・江戸砂子・求涼雑記)というのが、やはり有力な説に思える。
先人たちの残した地名。その由来に思いを馳せるのは、おもしろい。
地名由来説って、意外とミステリアスで調べるのけっこうハマる。
チベット語説を唱えてくれました河口慧海師はじめ、多くの歴史家、編集者の皆様、先人の皆様に感謝し、この微細な功徳(?)を回向いたします。
長文・乱文失礼致し候。ありがとうございました。
参考文献:「角川日本地名大辞典 13 東京都 角川書店」「東京の地名由来辞典 東京堂出版」「台東区史 通史編II 台東区」