呉の地名の由来は九嶺(くれい)?榑(くれ)?
呉の地名の由来は九嶺?
戦後、広島駅前で原爆で母親と死に別れた孤児と出会い、その子を連れて呉に帰るすずさんと周作さん。
呉に着いて、周作さんが孤児を背負い語りかけるシーン。
見い
九つの嶺に守られとろう
ほいで九嶺いうんで
うしろは海
右のんは休山
左のんは鉢巻山
その向こうが広島よ
ほいで まん中のんが灰ヶ嶺・・・
「この世界の片隅に下巻 」P150-P151 こうの史代 双葉社
好きな名場面です。
堺橋から灰ヶ嶺を望む
それで、他の六つの嶺は何だろう?と気になってしまい、図書館で「呉」の地名の由来を調べてみると、「呉」の地名由来で意外な事実が・・・
呉市発行の「呉の歴史」には「呉」の地名の由来について
一方、「船木郷」は、安芸郡域の森林資源を育成・伐採し、造船用材である榑(くれ)の製材を生業とする山民を「編戸」して設定した「郷」であった。
ふるくから呉市西惣付にある小字「舟木」が船木郷の地に比定されているが(『芸藩通志』など)、みとめてよいと思う。
「呉」という地名の起源を、「呉」の文字から中国から来た渡来人と関係するとか、「クレ」の音から「九嶺」すなわち九つの嶺に囲まれているからだという語呂合わせ的な説はとるに足らず、むしろ造船用材の榑(くれ)の製材をおこなったところに由来するとみるべきであろう。
「呉の歴史」第二章古代の呉 第二節 安満郷呉浦と船木郷 P28-P30 呉市発行
ありゃぁ〜;
「呉の歴史」では、呉の地名の由来の「九嶺説」は、語呂合わせ的な説でとるに足らないと一蹴していました(涙
でも、「呉」の地名の由来の説で、最も有力だとされている、造船用材の「榑(くれ)」から来た説
※榑(くれ)・・・切り出した板、材木。加工して建築物や船、その他もろもろに使用する。写真はイメージ。
歴史の見える丘より、大和ドック跡地
考えてみれば、そのはるか後に、呉に東洋最大の海軍工廠ができ
戦艦大和の塔
戦艦として史上最大の排水量を誇った「大和」を作ることになるわけで、「呉」の由来が造船用材の「榑」から来ていたという説も、その後の東洋最大の造船の街へと繋がっているようでもあり、なかなか興味深い気がしました。
とはいえ、やっぱり「九嶺説」も、捨てがたい。。。