気づいている人は多いと思うけど、「この世界の片隅に」のタイトルついてほんの少し。
「この世界の片隅に」と、山代巴の「この世界の片隅で」
こうの史代先生の「この世界の片隅に」と、岩波新書の山代巴の「この世界の片隅で」
一文字違いだけど
「この世界の片隅に」(こうの史代)
「この世界の片隅で」(山代巴)
両書とも原爆に関係はしているが、内容はかなり異なる。
山代巴の「この世界の片隅で」は、広島原爆投下後の諸問題についてのルポルタージュ。
当然、すずさんも周作さんも、呉も江波も出てこない。
1965年発行と古い本だが文章的には読みやすい。だが内容はかなり重いのです。
原爆で小頭症になった子を持つ父親が、医療の必要がない、医療では治らないという理由で何も援護しない無視を続ける日本政府ではらちがあかず、直接米軍の司令官に当てた嘆願書を書く・・・などは読んでいて、同じく子を持つ親として目頭が熱くなった。当然無視されるのだが。
原爆投下後70年以上たった現在、こういう種の本は出ることがまずなくなったので、ある意味貴重な一冊なのかもしれない。
(こうの史代先生の)「この世界の片隅に」のヒットによって、同書も2017年に復刻されました。
「この世界の片隅で」というタイトルも、東京オリンピック開催(1964年)など高度経済成長期でもはや戦後ではないと言われつつあった当時、被爆地ではこんなに苦しんでいる人たちがいるというところから付られけたのかもしれない。
原爆スラム跡地 基町堤防
そして、かつて広島の基町にあった原爆スラムについての記述も多くある。
こうの史代先生の代表作の1つ「夕凪の街 桜の国」にも原爆スラムは出てくる。
「夕凪の街 桜の国」と、大田洋子の「夕凪の街と人と」
「夕凪の街 桜の国」は、原爆スラムで原爆症を発病しながら現代と過去との葛藤に悩まされながらも、淡い恋を感じつつ生きて行く女性(皆実)と、その後に続く人々の物語。
そして「夕凪の街 桜の国」も同様に、戦中戦後の流行作家で戦後原爆作家としても著名な大田洋子の「夕凪の街と人と」と、戦中に書かれた「桜の国」からつけられた。
「夕凪の街と人と」は、原爆スラムやそこ生きる最下層の人たちをとりあげているが、( 大田洋子の)「桜の国」は逆に、戦中に書かれたもので、むしろ内容的には戦意高揚的な作品(桜の国は、ストーリー的にあまり面白みを感じず、まだ読了していません;)。
余談だけど、凪とは、風が止まる状態のこと。
広島は三方を山に囲まれ、七つの川が瀬戸内海にそそぐ。夜は陸から海に風が吹き、昼間は逆に海から陸に風が吹く。そして、朝と夕方、風が止まる時がある、それが凪。
夕凪に対して朝凪もあるけど、夕凪は特に暑さが厳しい。
「夕凪の街」というびは、なかなか考えさせられるタイトルだ。
こうの先生は、なぜ過去の著作と似たタイトルをつけたのか・・・
なぜ過去の著作と似たタイトルをつけるのだろう?
こうの先生はかつて、ファン掲示板で「この世界の片隅で」は存在は知っているが読んではいないと書いておられた。
また、こうの先生は「私たちは戦争を知っている人と交流できる最後の世代」ともおっしゃっている。
山代巴も大田洋子ももうこの世にはいないが、今ではもうほとんど読まれていない原爆関連の過去の作品(戦争を体験した人々が書いた本)がまだ手に取りやすい最後(?)の世代に、少しでも気づいてもらえたらという思いもあるのかな。
現に山代巴の「この世界の片隅で」は、復刻されたわけだし。
そして、両書を手にとった私でした。
ちなみに大田洋子さんとはたまたま縁があって、かなり前にだけど「屍の街」は読みました。