今回は、呉観光協会さん発行の
「まちあるきガイドブック すずさんが暮らした呉」より
「コース3′ 道に迷ったすずさんが歩いた道」を歩きます。
すずさんが砂糖を買った闇市あたり(泉場町界隈)
すずさんが砂糖を水瓶に落としてしまったことで、砂糖を闇市に買いに行くことになります。
当時、闇市があったとされるのが、泉場(せんば)町界隈のようです。
現在は当然、面影は全くありません。
まちあるきガイドではこの辺りからスタートです。
ガイドにも書かれていましたが、当時とは、道も大きく変わってしまっているようです。住宅街をぬけていきます。
ガイドには、「今西通り」という大きな道路を横切るようにガイドラインが示してありますが、道路には中央分離帯があり横切れません。
ありゃぁ〜。どうしたものでしょう???
それとも、すずさん同様に、道を間違えて迷子になってしまったのでしょうか。
ともかく一度迂回して直進します。
朝日遊郭跡
ガイドによると、この界隈から朝日遊郭があったとされるエリアです。
ガイドには呉医師会病院あたりを「リンさんと出会ったあたり」と案内しています。
リンさんのいる二葉館はこの辺りにあったという設定のようです。
当然、往時の街並みは空襲で焼失しているため、遊郭の面影はまったくありません。
呉医師会病院から 坂を下り、今西通りの交差点の角(クリーニング屋さんあたり)に「郵便局跡」と、まちあるきガイドには記されていました。
作中にも、長ノ木までの道を訪ねるすずさんに
「・・・・・・・・・
長ノ木ならその筋を郵便局まで降りて・・・
ほいで・・・」
こうの史代 この世界の片隅に<中>P21 双葉社
と、リンさんが答える場面があります。その郵便局のようです。
この界隈でガイドの「コース3′ 道に迷ったすずさんが歩いた道」が終わります。
朝日遊郭と堺川
当時の資料によると、朝日遊郭の歓楽街の中を川が流れていたようです。
(明治の地図では遊郭の横に川がながれていたようです。拡張されたのでしょうか)
当然、今も川はそのまま流れています。
この日はひどい雨だったので、翌日、再訪してみました↓
朝日橋と東朝日橋
川の欄干にも「朝日橋」と書かれた橋を見つけました。
この橋から川をながめていた、おじいさんと挨拶をしたので
「この橋は古いですか?」と聞いてみました。
おじいさん「ほうよ。この辺では1番古いんよ」
自分「戦前からですか?」
おじいさん「さぁ〜、それはどうかね〜」
とのこと。
ガイドにあった「リンさんと出会ったあたり」とされている呉医師会病院の前の橋も、よく見てみれば「ひがしあさひはし」とありました。
これも戦前からあった橋かどうかはわかりません。
当時、西日本有数の花街とまで言われた朝日遊郭。今、その面影を探すのは難しいようです。