今回は、鬼平犯科帳6巻「大川の隠居」より
江戸橋から大川こと隅田川までを歩く・・・のではなく、今回は水上を船で訪ねます。
ある晩、長谷川平蔵が風邪をこじらせ寝込んでいるところに、あろうことか盗人が入り、亡父の形見の銀煙管を盗まれてしまう。
しばらくして、平蔵の病も癒え、市中見回りに岸井左馬之介と共に出る。
思案橋のたもとの船宿加賀屋
江戸橋(東側、江戸橋JCT側から撮影)
平蔵と左馬之介の二人は日本橋の南詰から江戸橋へ出て渡り、思案橋のたもとの船宿加賀屋に入る。
二人は、日本橋の南詰から江戸橋へ出て、これを北へわたり、小網町の河岸道を、堀江・六軒町へ出た。
日本橋川からの入り堀にかかる思案橋のたもとに〔加賀屋〕という船宿がある。
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(6)』「大川の隠居」P196
思案橋のたもとに加賀屋という船宿があったという設定だが、現在、思案橋は入江が埋め立てられて存在しない。
江戸橋JCT(東側、水天宮側から撮影)
思案橋界隈は、現在の首都高江戸橋JCTあたりだと思われる。
名所江戸百景「日本橋えど橋」
名所江戸百景にもあるように、当時この辺りには、多くの船が集まり、船宿や大川(隅田川)へ出る屋形船などが多く停泊していたようだ。
思案橋の船宿から大川へ
平蔵は、船宿で一献傾けてから、大川へ舟で出てみようかと左馬之介を誘う。
頼んだ舟の、船頭は老いていた。
「大丈夫かね、平蔵さん。あんな年寄りで・・・・・・」
と、左馬之介が、
「まるで、日増しの焼竹輪のような船頭だな」
めずらしく、冗談をいった。
だが平蔵は、河岸をはなれたときの老船頭が竿をあつかう手さばきを見るや、にやりとして、
「左馬。この船頭なら竜巻が来たとて、びくともするものではないよ」
と、ささやいた。
(中略)
日本橋川を出た舟は、行徳河岸を右へまがり、三つ俣から新大橋をくぐって大川へ出た。
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(6)』「大川の隠居」P198-199
船宿のある思案橋から、友五郎と名乗る老いた船頭が、大川まで舟を出す。
原作では、日本橋川から右へまわりとあるが、左にまがらないと新大橋方面には向かない。誤記か、それとも船頭と客の向きの関係で反対に言ったのかは、わからない。
日本橋川を出て、右ではなく左に曲がると、現在は隅田川大橋があり(当時はない)、上を首都高9号深川線が走る。
現在の新大橋(北側から撮影)
「新大橋をくぐって大川へ出た」と記載されているように、大川=隅田川と思ってしまうが、昔は吾妻橋〜新大橋あたりまでを大川と言っていたふしがある。
新大橋がかけられたのが、元禄六年(1693)。一説によると五代将軍綱吉の生母桂昌院が庶民の不便を憐れみ新しく橋をかけるように将軍に言ったとも伝えられている。
すぐ近くの深川の萬年橋たもとに住んでいた松尾芭蕉は(現在も芭蕉庵跡がある)、新大橋が完成した時の喜びを句にして詠んでいる。
みな出て 橋をいただく 霜路哉 芭蕉
有りがたや いただいて踏む はしの霜 芭蕉
完成当時の、江戸庶民の嬉しさが伝わる名句だと思う。
当時は隣にある両国橋を大橋と呼んでいたため、新大橋としたそうだ。
両国橋(隅田川から神田川へ入る辺りから撮影)
両国とは武蔵国と下総国。その両国にかかる橋。現在でもこの両国橋を境にして、都心側を靖国通り、千葉側を京葉道路と同じ国道14号だが名前が変わる。
両国橋まで来た時に岸井左馬之介は用があると、少し舟を降りる。
左馬之介を待っている間、平蔵と友五郎は煙草を吸うが、その時、友五郎が手にしていた煙管が平蔵の盗まれた煙管だった。
平蔵は、小房の粂八に一部始終を話し探らせると、友五郎は粂八の昔なじみの盗人、浜崎の友蔵だった。
後日、粂八も同様に、印籠を役宅から盗んで来たと友蔵に話す。粂八が再び印籠を役宅に戻し、友五郎も煙管を役宅に忍んで入り戻し、代わりに印籠を盗んでくるという遊びごとを繰り替えす。
平蔵は一人で、思案橋の船宿〔加賀屋〕へ行き、友五郎に舟を出させる。
舟は大川橋(のちの吾妻橋)をくぐり、尚も大川をさかのぼっていた。
西岸は、浅草・山之宿の町なみの向こうに、金竜山・浅草寺の大屋根が月光をうけて夜空に浮きあがり、東岸は、三めぐりの土手から長命寺、寺嶋あたりの木立がくろぐろとのぞまれる。
「旦那。明日は雨になります」
と、友五郎。
「何をいう。月がでているではないか」
「月よりも、大川の隠居のほうがたしかでございますよ」
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(6)』「大川の隠居」P218
大川橋(現在の吾妻橋)の下からスカイツリー方面
大川橋は吾妻橋は、浅草の最寄りの橋でスカイツリーを一望できるというのもあって隅田川に架かる橋の中では、一番賑わっている。
この吾妻橋界隈では、ひな祭りが近づくと、江戸流しびなが行われ幾千の紙で出来た雛人形が流される。
大川の隠居
「大川の隠居?」
「ほれ、ごらんなせえ。あそこに出て来ましたよ」
友五郎が舟ばたを、手で拍子をとって叩きながら、大川の川面へ向って、
「おう隠居。久しぶりだなあ」
まるで、人にはなしかけでもするように声を投げると、川面が大きくうねった。
そこへ視線を移した平蔵が、おもわず、
「あっ・・・・・・」
と、いった。
川波のうねりが、たちまちに舟ばたへ近寄ったかとおもうと、そのうねりの間から魚の背びれあらわれた。
魚も魚、平蔵と友五郎が乗っている小舟ほどもあろうかとおもわれる、大鯉の背びれなのである。
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(6)』「大川の隠居」P219
友五郎と平蔵が見た、大川の隠居こと大きな鯉。
原作で大川の隠居を二人が見たとされる場所のすぐ近くの川沿いに、公園がある。
最近、遊具もリニューアルされ、大きなくじらの滑り台が出来た。
近所の子供や親御さんたちは皆「くじらの滑り台」と言うが、自分はあえて「大川の隠居」と言っている(思っている)。
今日も、大川の隠居は、子供達に大人気だ。
他参考図書:橋から見た隅田川の歴史(飯田雅男著 文芸社)