今回は、著者池波正太郎自身が選んだ鬼平五選の1つでもあり「瓶割り小僧」の舞台、神谷町〜麻布鼠坂界隈を歩く。
石川の五兵衛を捉えたものの、一向に素性を吐かない五兵衛。
長谷川平蔵も、どこかで見た男とは思っていたが、思い出せない。
そんなある時、落とした湯呑みが割れた音で、平蔵は20年前、神谷町の小さな瀬戸物屋であった事を思い出す。
神谷町の小さな瀬戸物屋
場所は、芝の神谷町であった。神谷町は芝の増上寺の西側にあたり、寺院や大名・武家屋敷が多い。
その日。
平蔵は、麻布に住む旗本・曽我大膳方へ所用があり、帰途は坂を下って神谷町へ出た。
例によって、気軽な平蔵は紋付の羽織・袴の姿ながら共を従えてはいない。
坂を下った右手に、亡父の代から知り合いの、刀の研師・竹口惣助の家がある。
(中略)
語り合ううちに、道をへだてた向う側の、小さな瀬戸物屋の前で、事件が起こった。
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(21)』「瓶割り小僧」P58
この江戸切絵図(芝愛宕下絵図)で見ると、左下が麻布になる。
原作では、麻布で用を済ませ坂を下って神谷町へ出たとしか書いていない。
切絵図で麻布方面から、神谷町へ出る道に「ガン木坂」と読める坂がある。
今でも、国道1号桜田通りから、麻布台1丁目の信号を入った所に「雁木坂」は残っている。
坂の説明には、階段になった坂を一般に雁木坂というそうだが、敷石が直角に組まれていたからという説も紹介している。
坂の一部は、敷石を直角に組んでいたという説を表現している。
坂とはこの雁木坂なのかどうなのかは記載がないのでわからないが、坂を下った右手に刀の研師の家があり、道を隔て向かい側の小さな瀬戸物屋で、子供の五兵衛は、瀬戸物屋の梅吉を言い負かす。
鼠坂
坂をのぼり切った道は、六本木から竜土町へと通じてい、夕暮れどきの忙しげな人通りがあったけれども、五兵衛は道を突切り、鼠坂へかかった。
このあたりは、崖地が多く、日中でも、あまり人が通らぬ。
木立が鬱蒼としていて、風も絶えているのに、落葉が坂道の上をゆるやかに舞い落ちてくる。
腹が減ってきたらしく、五兵衛は小走りに走り出した。
と、そのとき・・・・・・。
崖下の小径から鼠坂へ走り出て来た浪人・赤松小弥太が、
「待て、こいつ」
いきなり、五兵衛を突き飛ばした。
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(21)』「瓶割り小僧」
竜土町(りゅうどちょう)は戦後まであった旧町名で、今のミッドタウン界隈。
その竜土町へ通づる道は、現在の外苑東通りと思われる。
現在、麻布郵便局と外務省飯倉公館の道を挟んで向かい側に坂がある。
坂を下って行くと、島崎藤村が18年間(大正7年〜昭和11年)住んでいた旧居跡がある。
藤村の小説「嵐」も、鼠坂が舞台になっている。
しばらく小道を行くと、車止めのある坂に出る。ここに鼠坂の案内があった。
案内には、「細く長い道を江戸でねずみ坂と呼ぶふうがあった」と記されている。
ちょうど宅配業者の方が車を降り、車も通れない鼠坂を下って荷物を届けていた。
昭和50年代の拡張工事前は、もっと狭い道だったようだ。江戸時代は、さらに狭かったかもしれない。
(鼠坂は、他にも有名な所では、文京区の小日向と新宿区の納戸町に現在もある。その2つの鼠坂も現在でも狭く細長い坂道。)
この麻布の鼠坂は、池波さんにとってお気に入りだったのか、あまり有名な坂ではないけれど鬼平シリーズでは、「麻布ねずみ坂」(文庫版3巻)、 「浮世の顔」(文庫版14巻)、「麻布一本松」(文庫版21巻)などと、たびたび登場する。
狸穴
鼠坂を下ったところに、港区立狸穴公園がある。
狸穴と書いて「まみあな」と読む。
公園の中には、狸穴稲荷大明神。
狸穴だけど狐のお稲荷さん。
すぐ近くには、狸穴坂。
案内には「まみとは雌ダヌキ、ムササビ、アナグマの類で、昔その穴が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。」とあった。
狸穴坂を登ると、ロシア大使館があり、先ほどの外苑東通りに戻る。