夢見る旅路

江戸東京発今昔物語

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1月29日は「草城忌」 食欲をそそられる日野草城の食の俳句と、百人一首と

f:id:odekakeiku:20200129143332j:plain「春暁や 人こそ知らね 木々の雨」草城

 

1月29日は「草城忌」

今日、1月29日は「草城忌」

 昭和初期の俳壇に新しい風を吹き込んだ俳人、日野草城(ひのそうじょう)の忌日。

 

f:id:odekakeiku:20200129161029j:plain 先日、久しぶりに日野草城の句集を、図書館で見つけて借りて読んでいたので、今回は草城の句を、ちょこっとご紹介したいと思います。

日野草城の俳句との出会いは、学生時代によく通っていた図書館にて。

何気なく手にとった草城の句集でしたが、草城の句は日常の光景を柔らかくユーモラスな表現を含んでいて、当時まだ10代の自分にもわかり易く親しみやすい作風に、いつしか(受験勉強そっちのけで)引き込まれて読んでいました。

中でも食べ物に対する描写は、情景をありありと連想させ、当時10代のいつでも空腹だった自分には、読むたびに食欲をそそられるものがありました。

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「きのこ飯 ほこほことして 盛られたる」草城 花氷(秋)

 

日野草城

まずは、簡単に草城について。

日野草城 明治34年(1901年)7月18日〜昭和31年(1956年)1月29日

本名は、克修(よしのぶ)。

東京 上野の生まれで、俳句を嗜む父の影響もあって中学時代から「ホトトギス」に投句。

京都大学法学部を卒業した後、大阪海上火災保険に入社し出世コースを歩むも、戦後、病気のため退社。

昭和10年(1935年)に発表した「ミヤコホテル」は、それまでの俳句にない大胆な色気を伴う表現で、室生犀星(絶賛)vs中村草田男(批判)らによる「ミヤコホテル論争」と言われるほどの論争にまで発展。

新興俳句の先駆けとして様々な句を発表し続け、昭和11年には 高浜虚子の怒りに触れて「ホトトギス」を除名処分。

晩年は、病気、貧困、住むところにも苦労しつつも、妻に支えられながら創作活動を続ける。

草城が亡くなる前年、虚子が見舞いに訪れ、再び草城は「ホトトギス」に迎えられる。

昭和31年に亡くなるまで「花氷」「旦暮」「昨日の花」「人生の午後」など多くの句集を発表。

 

草城と食

以下、個人的に草城の「食」についての句(一部)を集めてみました。

 

「かんばしく 珈琲たぎる 余寒かな」花氷(春)

「春の夜や 檸檬に 触るる 鼻の先」花氷(春)

「子を産んで やつりにけりな 桜餅」花氷(春)

「サイダーの うすきかおりや 夜の秋」花氷(夏) 

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「ところてん 煙のごとく 沈みをり」花氷(夏)

「うすまりし 醤油すずしく 冷奴」花氷(夏)

「夏みかん ざくりざくりと むかれけり」花氷(夏)

「くちびるに 触れてつぶらや さくらんぼ」花氷(夏)

「舌に載せて さくらんぼうを 愛しけり」花氷(夏)

「きのこ飯 ほこほことして 盛られたる」花氷(秋)

「朝寒や 白粥うまき 病みあがり」花氷(秋)

「白菊や 風邪気の妹に 濃甘酒」花氷(秋)

「寂しさに 葡萄の房を 握りけり」花氷(秋)

「雪の夜の 紅茶の色を 愛おしけり」花氷(冬)

 「雨の夜の こころさぶしき ゼリーかな」昨日の花

「みづみづし セロリを噛めば 夏匂ふ」昨日の花

「七月の つめたきスウプ 澄み透り」昨日の花

 「マカロニが 舌を焦しぬ 風涼し」昨日の花

「クロイツェル・ソナタ氷片 珈琲に」転轍手(ベートーヴェンを聴く レコードコンサート一句)

「ももいろの ミリオンダラー 妻に飲ます」転轍手(愛しき消費ありがたしボーナス)

「子のグリコ 一つもらうて 炎天下」転轍手(あやめ池遊園)

 

草城と日常 

日常やサラリーマンから見た情景も当時としては斬新で注目を集めます。

「春暁や 人こそ知らね 木々の雨」花氷

「春愁を 消せとたまひし キスひとつ」花氷(春)

「夕風に へらへらと笑ふ しびとばな」花氷(秋)

死人花→彼岸花

「初雪を 見るや手を措く 妻の肩」花氷(冬)

「早寝して  夢いろいろや 冬ごもり」花氷(冬)

「風邪の子の 枕辺にゐて ものがたり」花氷(冬)

「静けさや 炭が火となる おのずから」花氷(冬)

 「扇風機 つばさが消えて 風となる」昨日の花(事務室)

「をさなごの ひとさしゆびに かかる虹」昨日の花(二尊院)

 「重ね着の 中に女の はだかあり」昨日の花

「懐に ボーナスありて 談笑す」昨日の花

「小市民 金を預けて 出て寒し」転轍手

 

戦前のサラリーマン時代の作品は、生き生きとして温かい日常の情景を描いた句が多い気がしますが、戦中の暗い時代のいわゆる戦争俳句、そして戦後の病床期はガラッと作風が変わり、どの作品も哀愁が漂います。

 

「ちちろ虫 女体の記憶 よみがへる」人生の午後

「死ぬときの 鼠の声を 聴きにけり」人生の午後

「裸婦の図を 見てをりいのち おとろへし」人生の午後

「所得税 すくなきを うらやまけり」

「すずらんの りりりりりりと 風にあり」銀 

「夏布団 ふはりとかかる 骨の上」人生の午後 

 

草城と「小倉百人一首」

 草城は学生時代、短歌にも興味をしめし「古今集」「新古今集」はじめ多くの古典を好んで読んでいたそうです。

そのせいもあってか、草城の句の中には、(なかでも)「小倉百人一首」に登場する歌を連想させたり絡ませたような、洒落やユーモアのある句も多く遺しているように思えます。

 

「千早ぶる 神代の石や 鮓(すし)の石」草城 花氷 

 『ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 から紅に 水くくるとは』在原業平(17)

 

「酌の手を とめて千鳥が 鳴くといふ」草城 花氷(冬)

『淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いくよ寝覚めぬ 須磨の関守」源兼昌 (78)

 

「玉の緒よ 絶えねば絶えね 河豚汁(ふぐとじる)」草城 花氷(冬)

『玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする』式子内親王(89)

 

「きりぎりす 鳴かねば青さ まさりける」草城 青芝(秋)

『きりぎりす なくや霜夜の さむしろに 衣かたしき 独りかも寝む』九条良経 (91) 

 

「これやこの  珍(うづ)のバナナは そろそろ剥く」草城 人生の午後

『 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」蝉丸(10)

意味はともかく、「これやこの」を俳句に用いる感性が、病床にあっても斬新な気がします。

 

他にも、百人一首に出てくる歌の中の句を、いたるところで見かけます。

草城の遺した句の全てを鑑賞したわけではないですが、改めてざっと見ただけで、これだけあるので(実際はもっとありましたが割愛しました)草城は「小倉百人一首」が好きだったのかもと思ってしまいます。

 

また草城は、百人一首のゆかりのある、天智天皇を祀った近江神宮にも参拝し句を詠んでいます。

 「みそなはす 皐月の湖の てりくもり」草城 第五句集(近江神宮)昭和十六年

 近江神宮が創祀されたのは、草城が訪れた(もしくは句を詠んだ)前年の昭和15年。

 現在では、近江神宮と言えば「競技かるた」の「クイーン戦」「名人戦」が開催され、漫画やアニメの「ちはやふる」でも登場する神社として有名ですが、当時は、天智天皇を祀るというくらいで、現在のように百人一首と関連がある神社とも一般的に認知されていなかったようにも思えます。

 昭和初期、それまでの古い体質の俳壇に、旋風を巻き起こした草城ですが、古典の「小倉百人一首」などに登場する歌が、草城の遺した俳句のなかに見え隠れするというのも、個人的に興味深く感じます。

 

参考図書

・「日野草城句集 室生幸太郎編」 角川書店発行

・日野草城句集 昨日の花 邑書林句集文庫

・昭和俳句文学アルバム24「日野草城の世界」桂信子編著 梅里書房

 

草城句集―花氷 (京鹿子叢書)

草城句集―花氷 (京鹿子叢書)

  • 作者:日野草城
  • 出版社/メーカー: 沖積舎
  • 発売日: 1996/09/01
  • メディア: 単行本
 

 

www.tabijiphoto.com

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