「万葉集」編纂に大きく携わったことでも知られている奈良時代の歌人大伴家持(おおとものやかもち)。
今日、8月28日は「大伴家持」の忌日にあたる(延暦4年8月28日、西暦785年10月5日)。
今回は、大伴家持の忌日近く(夏〜秋)に咲き、家持が愛しよく詠んだ撫子(なでしこ)の花について少し。
ちなみに、大伴家持は
百人一首の六つ目の句
かささぎ の渡せる橋におく霜の
白きを見れば夜ぞふけにける
でも有名ですね。
秋の七草
「万葉集」には、「撫子(なでしこ)」の歌が26首詠まれている。
有名な歌の1つに、山上憶良(やまのうえのおくら)の
(一五三七)
「秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」
秋の野原に、咲きたる花を指折り数えてみれば 七つの花が美しい。
(一五三八)
「萩の花 尾花(をばな)葛花(くずばな) 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花(をみなへし)また藤袴(ふぢばかま) 朝貌(あさがほ)の花」
萩の花、尾花(すすき)、葛花、撫子の花、女郎花、また藤袴、朝顔の花(この朝顔は桔梗ではないかと言われている)
2つの歌からなるこの歌の2つ目の歌は、すべて花だけで構成されている。古今東西こんな歌はまずないと思ふ。
この歌から、秋の七草という名前が生まれた。
撫子の花
8月中旬 東京都港区白金台「自然教育園」で撮影
万葉集に歌われている撫子の花は「カワラナデシコ」だとされていて、今では環境の変化により全国的にあまり見かけなくなったという。
万葉集の「撫子」の歌 26首のうち、11首は家持が詠んでいる。
(四六四)
「秋さらば 見つつしのへと 妹が植ゑし やどのなでしこ 咲きにけるかも」
「秋になったら一緒に見ましょう」と言って妻が家に植えた撫子。その撫子の花が咲いている。
この時、大伴家持は妻を亡くしています。
(一四九六)
「我が宿の なでしこの花 盛りなり 手折(たお)りて一目 見せむ子もがも」
私の家の庭に、撫子の花が盛りにさいている。その撫子を手折りて一目見せてあげられる娘がいたらいいのに。
(四二三一)
「なでしこが 花見るごとに 娘子(をとめ)らが 笑まひのにほひ 思ほゆるかも」
なでしこの花を見るたびに、乙女の笑顔の美しさを思い起こします。
家持以外の人が詠んだ「撫子」の歌も、家持に贈った歌や、家持の屋敷で詠まれたものなど、大伴家持絡みの歌が多い。
広く知られているように「撫子」は「大和撫子」というように、日本人女性の代名詞にもなる。それらに影響を与えたのは、大伴家持はじめ万葉人だったであろう。
家持の忌日8月28日「撫子忌」と名付けたい
歴史上に名を残した歌人や小説家などの文化人の忌日を、〜忌と一般に言うけど
- 太宰治・・・「桜桃忌」晩年の短編小説「桜桃」から。
- 芥川龍之介・・・「河童忌」小説「河童」からと河童が好きでよく絵を描いていたから。
- 司馬遼太郎・・・「菜の花忌」司馬遼太郎の「菜の花の沖」からと、菜の花が好きだったから。
- 松尾芭蕉・・・「時雨忌」時雨の頃に亡くなったから、「時雨」を好んで俳句に入れていたから。
- 在原業平・・・「業平忌」「在五忌」在五中将の略から。
などなど。
以前から疑問だったけど、多くの歌を残し「万葉集」の編纂など大きな足跡を残した大伴家持には「家持忌」とか「〜忌」というのをあまり聞かない気がする。
いっそのこと、8月28日を「撫子忌」とでもしてはどうだろうか?
と、研究者様方を差し置いて、一介の家持好きが言うにはやはり恐れ多い。
参考図書
「原文 万葉集 上下巻」 岩波文庫
「花の辞典」金田初代<文> 金田洋一郎<写真> 西東社