文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(6)』「狐火」より
新宿(にいじゅく)の渡し
密偵のおまさは、佐倉の叔母の葬式帰り、下総の松戸を出て、新宿(にいじゅく)の渡口へさしかかる。
おまさは、渡し口のわら屋根の茶店から、大盗賊・狐火の勇五郎の右腕といわれた瀬戸川の源七が出てくるのを偶然見かける。
新宿は、そのころ武蔵の国・葛飾群(現・東京の葛飾区)にあった宿駅の一つで、江戸からの街道が松戸を経て、上総・下総・常陸の国々へも通じている。
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(6)』新装版「狐火」P119
名所江戸百景 にい宿のわたし 広重 国立国会図書館
広重の名所江戸百景「にい宿のわたし」にも対岸(松戸側)に、わら屋根の建物が見える。
もしかしたら、池波正太郎はこの浮世絵をみて、瀬戸川の源七がやっている渡し口のわら屋根の茶店と設定したのかもしれない。
ただ、この「新宿の渡し(にい宿の渡し)」が、現在のどこにあたるのか。
いろいろと調べてもわからなかったので、葛飾区郷土と天文の博物館の学芸員の方に話を聞いた。
新宿の渡しは、現在の亀有アリオの横の道を入った、中川橋付近にあったとのこと。
名所江戸百景には、遠く筑波山と思われる山が描かれているが、現在はその方角にビルが立ち並ぶせいか、それとも天気のせいか、訪れた日は筑波山が確認できなかった。
この中川橋の通り、現在の江北橋通りの一部は、旧水戸街道にあたる。
中川橋から環七を過ぎ、綾瀬方面へ少し向かうと「旧水戸街道一里塚」の石碑があった。
横に並んでいるちょっと怖い3人の顔は、水戸黄門とすけさん、かくさんとのこと。
市ヶ谷八幡宮境内の料理茶屋 万屋(よろずや)
おまさが江戸にもどった、その夜、市ヶ谷・田町三丁目の薬種屋〔山田屋孫兵衞〕方へ、賊が押しこんで一家十七人が皆殺しにされた。
屋内に、狐火札が貼り付けられていたことから、賊は二代目・狐火の勇五郎一味の仕わざだと長谷川平蔵はにらむが、密偵おまさは現場の状況を見て、二代目の仕事ではないと訴える。
「おまさ。おいで」
平蔵は、後始末を配下たちと町奉行所にまかせ、おまさをつれて外へ出た。
平蔵がおまさをみちびいた場所は、市ヶ谷八幡宮境内にある〔万屋〕という料理茶屋の〔離れ〕であった。
ここは平蔵なじみの茶屋だ。
文春文庫 池波正太郎『鬼平犯科帳(6)』新装版「狐火」P130
江戸切絵図 尾張屋版 市ヶ谷牛込絵図 国立国会図書館
事件のあった市ヶ谷・田町三丁目の薬種屋〔山田屋孫兵衞〕方と、市ヶ谷八幡宮は同じ通りの並び。平蔵は、おまさを連れて料理茶屋万屋へ連れて行く。
名所江戸百景 市ケ谷八幡 広重 国立国会図書館
広重の江戸名所図会を見ても、門前に茶屋と思われる建物が立ち並んでいる。
平蔵なじみの料理茶屋万屋(よろずや)は、鬼平シリーズにも度々登場する。
外堀通りの「市ヶ谷八幡町」交差点そばから、市ヶ谷八幡宮にあがれる。
現在は、駿台予備校が境内下にある。
太平洋戦争の戦災により、ほとんどが消失してしまい江戸時代から残るものは少ない。
「あきれた奴」の回でも紹介したが、銅製の鳥居は文化元年(1804年)建立、鬼平が 活躍していた時代とほぼ同時期にあたる。