夢見る旅路

江戸東京発今昔物語

歴史探訪、名所、読書録、カメラ、日用品などの雑記帳、備忘録。

東京の盲腸線を行く2「東武亀戸線」亀戸駅〜曳舟駅

今回は、久々に東京の盲腸線を行く!

f:id:odekakeiku:20190509111917j:plain第2回目は、東武亀戸線です。

※鉄道詳しくないので、素人目の浅い知識による記載であることをご了承ください。

 

盲腸線

f:id:odekakeiku:20190509111939j:plain【盲腸線】とは、本線や支線から盲腸のようにはみ出て、ちょろっと短距離を走る路線のこと。

個人的な定義は、多くても5駅、距離も5kmくらいまでかな。

以前、盲腸線に言い知れない魅力を小さい頃から感じているという話を友人にしたら、

「盲腸って名前が悪い」(悪いかな?)

「痛い感じがする」(反論:それは盲腸炎、虫垂炎。盲腸自体は痛くないと思う。)

「意味ないみたい」(反論:最近の研究によると盲腸にも意味があるという説もあるらしいよ。)

と散々言われたけど・・・。

今や、ウィキペディアにまで「盲腸線」の記載がある昨今。それほど認知されてきたので「盲腸線」のままで行きますよ。

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東武 亀戸駅

f:id:odekakeiku:20190509111303j:plain我が家からの最寄駅は曳舟駅だけど、ここはあえて亀戸駅からスタートします!

(わざわざ亀戸駅までバスで来ましたw)

亀戸駅はご存知、JR総武線各駅停車(黄色い電車)が走ります。でもJRとは直接の連絡改札はなく一度駅ビルのアトレ亀戸の中を抜けて行かなくていけません。

 

f:id:odekakeiku:20190509111307j:plain改札近くに「ぎゃらりーかめいど」なるものがありました。亀戸線への愛情を感じます。素敵w

 

f:id:odekakeiku:20190509111310j:plain盲腸線とあなどるなかれ、亀戸線亀戸駅の自動改札機は合計5つ。もちろん有人駅。

ちなみに、同じ東武線の盲腸線である大師線の西新井駅は今は無人駅で、自動改札もない。

 

f:id:odekakeiku:20190509111315j:plain緑とオレンジの電車が停車していました。いずれも2両編成、大師線と同じ電車かな。

 

f:id:odekakeiku:20190509113927j:plain亀戸線の亀戸駅は高架ではないので、お隣のJR総武線各駅も通過する快速も電車の屋根しか見えません。

 

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そして地上駅のため階段はありませんが、ちょっとした急な傾斜にもスロープ完備。

こういうタイプの地上駅ということは、歴史が古いということを物語っている気がします。事実、JRも東武も亀戸駅の開業は明治37年(1904年)。日露戦争の時です。

 

f:id:odekakeiku:20190509113913j:plain日中は毎時10分に1本の割合で、ラッシュ時は7分おき。なお東武スカイツリーラインとの直通はありません。

 

f:id:odekakeiku:20190509113917j:plainともあれ、東京都江東区「亀戸」を出発します。

 

「亀戸」から「亀戸水神」へ

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亀戸駅を出発して間も無く、わずかにJR線と平行して走るのが見れるスポットがありました。ちょうど、各駅停車(黄色い電車)と特急成田エクスプレスを視認w

f:id:odekakeiku:20190509115507j:plainカーブをまがると、すぐ「亀戸水神駅」が見えてきました。

距離は亀戸駅から700mほどだそうです。駅もカーブにそってあります(駅もカーブしています)。

 

f:id:odekakeiku:20190509115731j:plain江東区「亀戸水神駅」に到着。

 

f:id:odekakeiku:20190509115742j:plainちょっと気になったのが

「亀戸天神の最寄駅は亀戸駅です」「亀戸天神(天満宮)と亀戸水神はちがいます」

という案内表記。

なるほど、間違える人がいるのかもしれないですね。

 

「亀戸水神」から「東あずま」へ

f:id:odekakeiku:20190509120211j:plainゆるいカーブの先、蔵前橋通りが見えてきました。

 

f:id:odekakeiku:20190509120215j:plain蔵前橋通りをくぐるとすぐ、北十間川を渡ります。進行方向右側に見える橋は丸八通り新小原橋(しんおはらばし)。

 

f:id:odekakeiku:20190509120217j:plainほどなく「東あずま」駅に到着。こちらもカーブに沿って駅があります。

 

f:id:odekakeiku:20190509122042j:plain「東あずま」駅から亀戸線の終点「曳舟」駅までは墨田区です。

 

f:id:odekakeiku:20190509122045j:plain東あずま駅近隣を散策したかったので一度途中下車。散策については後日別記事で。

 

ここで亀戸線について少々・・・

亀戸線はワンマン運転

f:id:odekakeiku:20190509135139j:plain東武亀戸線はワンマン運転です。

 

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先ほどの亀戸駅で気になったのが、線路脇に立てられていた「ホーム→」の案内標識(反対の2番線側にもあった)。

はじめこの標識必要?と思いかけましたが、亀戸線はワンマン運転のため運転手が1人でドアの開閉から、様々な運行に関する業務をします。

それに、亀戸駅以外は、亀戸へ向かう電車は全て進行方向左側にホームありがました。少しでもミスを防ぐためのようです。

 

f:id:odekakeiku:20190509135822j:plainドアの開閉の操作、確認をするのも運転手の仕事。

 

亀戸線の安全対策

f:id:odekakeiku:20190509122050j:plain亀戸線は、ホームに駅員がいないためか?ワンマン運転のためか?いずれにせよホームに設置されたセンサーで安全確認を行なっているようです。

 

f:id:odekakeiku:20190509122052j:plain

「センサーで安全確認を行なっておりますので、かならず黄色い線の内側をお歩きください。」

と、随所に案内が表記がありました。

 

f:id:odekakeiku:20190509122056j:plain二本の白線がセンサーなのかな?

 

「東あずま」から「小村井」へ

f:id:odekakeiku:20190509140616j:plain東あずま駅あたりで下り電車に遭遇。

昼間の10分おきダイヤだと、このあたりで毎度すれ違うようです。

ちなみに亀戸線は

  • 曳舟へ向かう電車→上り電車
  • 亀戸へ向かう電車→下り電車

と呼んでいるようです。駅のアナウンスでも「上り電車」「下り電車」と言っていました。

 

f:id:odekakeiku:20190509140621j:plain「小村井」駅は直線の駅。ちなみに読みは「おむらい」。亀戸線の途中駅の中では最も乗降者数が多いようです。

 

「小村井」から終点「曳舟」へ

f:id:odekakeiku:20190509140637j:plain戸建ての住宅街の中を走ります。踏切の間隔が狭い気がします。

 

f:id:odekakeiku:20190509140639j:plain住宅街をぬけカーブにさしかかり、京成押上線の高架をくぐります。

信号機の下の「カ」は亀戸線の意味かな。

 

f:id:odekakeiku:20190509140656j:plainほどなくして、終点「曳舟」駅に到着です。

 

f:id:odekakeiku:20190509140700j:plain亀戸駅から3.4km、約8分で到着です。ちなみに料金は150円。

 

f:id:odekakeiku:20190509140715j:plain曳舟駅5番線到着。折り返し亀戸行きになります。

「ワンマン亀戸」って響が、なんとなくいいw

 

f:id:odekakeiku:20190509140718j:plain停車時間も短く、再び亀戸へと走って行きました。

 

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平成から令和へ 国立公文書館特別展「江戸時代の天皇 」を見に行く

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今回は、竹橋の国立公文書館で令和元年5月12日まで開催されている、特別展「江戸時代の天皇」について。

 

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平成31年4月6日(土)〜令和元年5月12日(日)まで期間中無休でやっています。

近くに用があり、たまたま訪れた特別展でしたが思いの外楽しめたので一部を備忘録を兼ねて記したいと思います。

 

信長、本能寺の変直前に天皇より征夷大将軍を打診されていた!?

f:id:odekakeiku:20190418121612j:plain特別展「江戸時代の天皇」ですがその前の、安土桃山時代からはじまります。

 

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「日々記(にちにちき)」 公家 勧修寺晴豊の日記   

天正10年(1582年)4月25日、正親町天皇は公家の勧修寺晴豊を使者とし、織田信長に太政大臣関白征夷大将軍のいずれかへ任官したいという意向を伝えています。

しかし信長はすぐには返答せず、6月2日に本能寺の変が起き死去してしまいました。

 

江戸時代の改元の制定について

f:id:odekakeiku:20190430205109j:plain「教令類纂(きょうれいるいさん)」 慶長年間から天明にかけて幕臣 宮崎成身が書いた江戸幕府の私撰法例集 禁中并公家中諸法度

一 改元、漢朝年号之内、以吉例可相定、但重於習礼相熟者、可為本朝先規之作法事

改元は漢朝(中国)の年号の内から良い事例に基づいて決定すること。ただし元号選定が習熟したなら本朝(日本)の先例の作法に基づいて改元すること。と見えます。

江戸時代になると徳川幕府は「禁中ならび公家中諸法度」を制定して、朝廷への行事や改元についても介入するようになります。

 

江戸時代の新天皇 即位式の様子

f:id:odekakeiku:20190430205128j:plain「御即位庭上之図(ごそくいていじょうのず)」

貞享4年(1687年)4月28日に行われた東山天皇の即位式の様子を描いた図です。

 

f:id:odekakeiku:20190430205138j:plain天皇の座る玉座、高御座(たかみくら)も描かれていますが、女官の持つ団扇で天皇の姿は見えません。

庭にも高御座周囲にも「少納言」「命婦(みょうぶ)」などの官位を持った者が列席しています。

 

水戸黄門が作成させた「礼儀類典」

f:id:odekakeiku:20190430205145j:plain「礼儀類典」全515冊 紅葉山文庫旧蔵

水戸黄門こと水戸藩2代藩主徳川光圀は、朝廷の儀式の実用に役立てることを目的に、儀礼の調査と編纂をします。

 

f:id:odekakeiku:20190430205149j:plain「礼儀類典」全515冊 紅葉山文庫旧蔵

 朝廷で行われていた儀式などを、延長8年(930年)〜天文元年(1532年)までの日記類などの記録から、多くの時間と人をかけて抽出・分類しました。礼儀類典は全515冊にも及びます。

現在の即位式はじめ数々の儀式にも活かされているのかもしれません。

 

他にも朝廷と民衆の関わり(江戸時代も意外と関わりがあった) などなど、興味深い資料が多数展示されていました。

 

「平成」の書の原本も展示

f:id:odekakeiku:20190430233609j:plain令和への改元にあたり、あの「平成」の書の原本も特別に展示されています。

 

f:id:odekakeiku:20190430205154j:plain令和元年5月12日まで無休、無料で開催しています。 

令和日本史記 - 126代の天皇と日本人の歩み -

令和日本史記 - 126代の天皇と日本人の歩み -

 

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根津神社つつじ今が見頃!2019年4月28日現在

2019年4月28日朝の根津神社のつつじ開花状況ですw

今朝、つつじを見に根津神社へお出かけしたら、咲きそろい見頃を迎えていました!

 

根津神社 Nedu Jinja

f:id:odekakeiku:20190428084529j:plain根津神社は、東京メトロ千代田線「根津駅」「千駄木駅」から徒歩5分。メトロ南北線「東大前」からも7分ほどです。

 

f:id:odekakeiku:20190428084530j:plainつつじ苑入場口にも「今お勧め時です」とありました。

 

つつじ苑界隈 Tsutsujien Garden

f:id:odekakeiku:20190428084620j:plain昨年に続き今年も花付きは、なかなか良いです!

 

f:id:odekakeiku:20190428085549j:plain重要文化財の楼門から見る、つつじ苑もなかなか。

 

f:id:odekakeiku:20190428085551j:plainつつじ苑に入るには、神苑整備寄進代として200円かかります。引率の小学生までの子供は無料。入苑は9:00〜17:30。

 

f:id:odekakeiku:20190428084554j:plainつつじ苑に入らなくとも、つつじ苑を見渡せて楽しめます。

 

千本鳥居参道界隈 Senbon Torii

f:id:odekakeiku:20190428084535j:plain千本鳥居参道からも、つつじ苑を見渡せます。

 

f:id:odekakeiku:20190428090238j:plain千本鳥居の両端も、各種様々なつつじ咲き乱れています。

 

f:id:odekakeiku:20190428084653j:plain木々の新緑も綺麗です。

 

乙女稲荷界隈 Otome Inari

f:id:odekakeiku:20190428090454j:plain千本鳥居参道の途中にある乙女稲荷

 

f:id:odekakeiku:20190428084645j:plainこの界隈にもつつじが。こちらは、まだこれからかな。

 

つつじまつり

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根津神社では、5月6日まで「つつじまつり」を開催中です。

奉納演芸やパレードなど、根津の街はさまざまなイベントや出店がでて賑わいます。

10連休、お出かけしてみてはいかがいでしょう。

 

谷中・根津・千駄木・上野: 湯島 (散歩の達人handy)

谷中・根津・千駄木・上野: 湯島 (散歩の達人handy)

 

 

春の自然教育園は、可憐な花が咲き乱れる都心のオアシス

今回は、春の自然教育園について。

国立科学博物館付属 自然教育園

f:id:odekakeiku:20190422224248j:plain自然教育園は、JR山手線の「目黒駅」、地下鉄「白金台駅」から歩いて7、8分ほどにある、国立科学博物館付属の植物園。

 

f:id:odekakeiku:20190422224252j:plain山手線内の都心に残された自然を保護すべく、入園も人数制限される。

入園時に渡されるリボンがその目印。

と言っても、今まで何十回と訪れたけど、まだ入場制限にかかったことはないけどね。

 

f:id:odekakeiku:20190422224254j:plain縄文時代にこの地に人が住み始め、室町時代に白金と呼ばれる頃になると、豪族の白金長者の屋敷がこの地にあった。

その後、江戸時代には高松藩松平家の下屋敷、明治時代になると陸海軍の火薬庫、対象時代には宮内省の管轄になり、朝香宮邸が建設される。

戦後は、一時期、外務大臣官邸になったりと紆余曲折し、昭和37年に自然教育園として開園された。

 

f:id:odekakeiku:20190422224301j:plain春になると、入ってすぐの「やまぶき」が真っ黄色に咲き乱れる。

 

f:id:odekakeiku:20190422230636j:plainやまぶきを見て思い出すのが

「七重八重花はさけれど山吹の 実のひとつだに泣けぞ悲しき」

で、お馴染みの太田道灌だが、この地も道灌とは無縁ではなく、戦国時代には道灌の曾孫が所領していたという記録があるそうだ。

 

裸足で景色を楽しむ

f:id:odekakeiku:20190422224316j:plain見所の多い自然教育園だけど、なかでも個人的に好きな場所は、この東屋。

 

f:id:odekakeiku:20190422224319j:plainこの東屋の奥の場所は、土足厳禁。履物を脱いであがる場所になっている。

 

f:id:odekakeiku:20190422224323j:plainそしてここから、四季折々の水生植物園を眺めるのが好き。

 

のうるし

f:id:odekakeiku:20190422232259j:plain河川敷や湿地帯に生息する「のうるし」

f:id:odekakeiku:20190422232306j:plain茎からうるしに似た乳白色の液が出てきて、触るとかぶれるところから、この名前がついた。有毒植物で食べると胃腸炎を起こすそうです。

 

f:id:odekakeiku:20190422233406j:plainそれにしても、ここの空は広い。山手線の内側にあるとは思えないほどの空間。

 

f:id:odekakeiku:20190422233404j:plainマガモも普通に違和感なく、ひょっこり現れます。

 

バイモ

f:id:odekakeiku:20190422233541j:plainバイモという名前だけど、芋ではない。

 

 

f:id:odekakeiku:20190422233544j:plain別名をアミガサユリ。観賞用としてでなく、漢方薬の原料にもなる。

 

ひとりしずか

f:id:odekakeiku:20190422233556j:plain名前も花の形状も気になる「ひとりしずか」

 

f:id:odekakeiku:20190422233601j:plainブラシ状の花が咲きます。

我が家でつかってる歯間ブラシにそっくり。個人的に「歯間ブラシ」というあだ名をつけてしまったけど、「ひとりしずか」の名前の由来は、花が清楚なところから静御前にたとえて付けられたとか。

 

にりんそう

f:id:odekakeiku:20190422233611j:plain2輪の花をつけることから名付けられた「にりんそう」

 

f:id:odekakeiku:20190422233627j:plainよく見ると2輪だけでなく、1輪もある。3輪、4輪もあるとのこと。何輪かじっくり見るのも、おもしろい。

 

いちりんそう

f:id:odekakeiku:20190422233634j:plainそして、こちらは「いちりんそう」。

いちりんそうにも、2輪つけるものもあるそうですよ。

カラー版 東京の森を歩く (講談社現代新書)

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詩経の「桃夭」を読む。結婚式や婚姻での祝い事に詠まれ続けて来た漢詩

今回は、最古の漢詩集、詩経より昔より結婚式や婚姻の祝いの場等で詠み継がれて来た「桃夭」を読んでみます。

 桃夭(とうよう)

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「桃夭」

桃之夭夭 灼灼其華

之子于帰 宜其室家

 

桃之夭夭 有蕡其実

之子于帰 宜其家室

 

桃之夭夭 其葉蓁蓁

之子于帰 宜其家人

 

詩経[西周]

 

書き下し文

桃の夭夭(ようよう)たる 灼灼(しゃくしゃく)たる其(そ)の華(はな)

この子ゆき帰(とつ)がば 其の室家(しつか)に宜(よろ)しからん

 

桃の夭夭(ようよう)たる 有蕡(ゆうふん)たる其の実

この子ゆき帰(とつ)がば 其の家室(かしつ)に宜しからん

 

桃の夭夭(ようよう)たる 其の葉 蓁蓁(しんしん)たり

この子ゆき帰(とつ)がば 其の家人(かじん)に宜しからん

 

 

用語の意味

  • 夭夭:若々しいさま。美しく勢いがあるさま。
  • 灼灼:花が美しく盛りに咲いているさま。
  • 于帰:嫁にとつぐ
  • 室家:嫁ぐ先、嫁ぐ家。家族。家庭。(家室も同じ)
  • 有蕡:実が多くなるさま。実が大きいさま。
  • 蓁蓁:葉がたくさんしげるさま。

一章めでは桃の花が咲き、二章めで桃の実がなり、三章めで葉がしげる様子を詠っています。

結婚を祝う歌で、桃の花は綺麗な花嫁を、桃の実は子宝、葉がしげるは繁栄を意味しています。

 

一章めで「室家」となってるのに、二章めで「家室」となっているのは韻の関係から

  1. 「華(か)」→「家(か)」
  2. 「実(じつ)」→「室(しつ)」
  3. 「蓁(しん)」→「人(じん)」

他の詩経の作品同様、この詩も詠み人知らず作者不明で、およそ三千年以上前に作られたものと思われます。そんな最古期に属するこの漢詩でも、ちゃんと韻を踏むことを意識して作られているのに驚きです。

 

桃は邪気を払う

f:id:odekakeiku:20190325120607j:plain桃は古来より不思議な霊力が宿るといわれ、魔除けにも用いられて来ました。

その枝で弓をつくれば、よく命中し、桃の実は健康に良いとされ、また葉は神霊が降り立つ場ともされています。

日本でも、古事記では黄泉の国より逃げ帰る伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけて鬼女を追い払ったり、童話にも「桃太郎」があったり、雛祭りのことを「桃の節句」と言ったり、いずれも桃は邪気を払うというところからきています。

 

詩経

詩経は中国最古の詩集。紀元前12世紀から紀元前6世紀ごろにかけての古代歌謡や民謡を集めたもので、作者はいずれも不明です。

 

f:id:odekakeiku:20190325150229j:plain孔子像 詩経をまとめたのは孔子?

中国では、古くから孔子(前551〜前479)が編纂したと言われていますが、真相は不明。やはりまとめたのは、孔子でないと思われます。

おそらくは宮廷の関係者が、地方をまわって集め標準語に改めたものをまとめたものと推測されます。

どの詩も最初の二語をタイトルにしていますが、桃夭では二語めの「之」を用いて「桃之」としてはつまらないので、三語めの「夭」を用いて「桃夭」としているようです。

  

 参考図書:NHK新漢詩紀行 友愛深厚篇 石川忠久監修 NHK出版

漢詩を読む①宇野直人 江原正士 平凡社 

 

漢詩の朗読といえばNHK漢詩紀行でおなじみの江守徹さん思っていましたが、寺田農さんの淡々とした詠みもなかなか良いです↓

吟じたい漢詩80選

吟じたい漢詩80選

 
漢詩入門 (岩波ジュニア新書)

漢詩入門 (岩波ジュニア新書)

 

 

100年前のステレオカメラ、スパイカメラ、銃型カメラなど古今東西の珍しいカメラが集結。日本カメラ博物館。CP+2019

パシフィコ横浜で開催されているCP+2019。その中で、日本カメラ博物館が個人的にとてもおもしろかったので、少し記載しておきます。

 

日本カメラ博物館

f:id:odekakeiku:20190301102156j:plain日本カメラ博物館は、日本カメラ財団が運営。

 

 

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CP+のルーツとなる日本カメラショーに1960年の第1回から関わっているとのこと。

 

f:id:odekakeiku:20190301160451j:plain今回はCP+が10回目を迎えることから、10のテーマで古今東西色々なカメラを紹介しています。

 

10年前のカメラと100年前のカメラ

f:id:odekakeiku:20190301160630j:plain10年ひと昔とはよく言ったもので、カメラの進歩は今や日進月歩です。

しかし100年前のカメラもあなどれません。

 

f:id:odekakeiku:20190301160636j:plainステレオコダック1型 【1919年・イーストマンコダック・アメリカ】

左右のレンズでそれぞれ撮影し、2枚の写真を同時に見て立体視を得る「ステレオ写真」を撮影できるとか。

100年前にはもうこういう発想があったんですね。

 

 まだまだ100年前のカメラを紹介したいのですが先を急ぎます。

極小型カメラ

f:id:odekakeiku:20190301160412j:plain極小カメラの歴史は古く、スパイカメラや玩具のようなカメラも製造されてきました。

 

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ミゼット(画像中央)【1937年・美篶(みすず)商会・日本】

日本製のいわゆる豆カメラ。13円50銭という当時としても安い価格で販売されたとのこと。戦後は進駐軍のお土産にとしても好評だったそうです。

 

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マッチボックスカメラ【1944年・イーストマンコダック・アメリカ】

OSS(CIAの前身)用に、約1000台作られたそうです。

 

f:id:odekakeiku:20190301160404j:plain固定焦点25mm F5レンズを搭載。これは気がつきません。

ところで、今のスパイはどんなカメラを使用しているんでしょうね。

 

銃型カメラ

f:id:odekakeiku:20190301160541j:plain銃型のカメラも歴史は古いようです。玩具のカメラだけでなく、射撃訓練用や暴動の記録に使われたそうです。

 

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マミヤ速写カメラ【1954年・マミヤ光機・日本】

マミヤからも出していました。通称マミヤピストル。135フィルムを使用。

カッコイイけど、これで街中のスナップを撮る勇気はないですね。

 

f:id:odekakeiku:20190301160559j:plainフォトレボルバー【1915年・E.クラウス・フランス】

写真乾板を48枚装填可能。乾板の厚さは0.8mmで、グリップ下部を引くと乾板が交換されるそうです。

 

f:id:odekakeiku:20190301160602j:plainドリュー2ー16【1954年・ドリューカメラ・日本】

暗いところでは専用のマグネシウム閃光弾も使って撮影できるとかwちょっと見てみたいです。

 

f:id:odekakeiku:20190301160611j:plain回転式射撃監査写真機【1942年・小西六(現:コニカミノルタ)・日本】

旧日本陸軍に採用された射撃監査用カメラです。

 

f:id:odekakeiku:20190301160613j:plain箱の内側にも記載がありました。横に五芒星の印が押されているので、やはり旧日本陸軍所有のものでしょう。

 

f:id:odekakeiku:20190301160617j:plain照準器が、何ともものものしいです。これで動物園で写真撮ってたら、間違いなくニュースになりますw

 

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ソルトン=ピッカード射撃カメラ マークIII 【1915年・ソルトン=ピッカード・イギリス】

先ほどの旧日本陸軍で使われていた回転式射撃監査写真機の、モデルになったのがこちら。

 

f:id:odekakeiku:20190301160626j:plainイギリスだけに一瞬「007」と見えましたが、3007でした。

側面のレバー(どれ?)でフィルム送りができるようです。

 

 トイカメラ・キャラクターカメラ

f:id:odekakeiku:20190301213717j:plainミック・ア・マチック【1971年・チャイルドガイダンスプロダクツ・アメリカ】

これはミッキーマウスを模したパチモンということでしょうか。

鼻のところにレンズがあります。

 

f:id:odekakeiku:20190301220100j:plainバービービデオガールドール【2010年・マデル・アメリカ】

こちは胸にレンズがあり、背中に液晶モニターがあります。

 

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快獣ブースカカメラ【製造年不明・会社不詳】

「ぼくはブースカ ブー 力持ち〜〜♪」あの快獣ブースカのカメラというのに、ユーモアを感じますw

 

古今東西、色々なカメラが集結しており大変楽しめました。

ぜひ、実物を見にCP+2019へ足を運んでみてください。

 

CP+2019

パシフィコ横浜

2019年2月28日(木)〜3月3日(日)

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駄カメラ大百科

駄カメラ大百科

 

 

東博の顔真卿展に行く前に予備知識。人物としての顔真卿を知れば「祭姪文稿」の良さがわかる!

国立東京博物館で開催されている特別展「顔真卿」を見に行く前に、書についての予備知識を学んでメモしておこうという記事の2回目。

 

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今回は、特別展の主役、顔真卿について。

来日している顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」を見るには、まず人物としての顔真卿を知ると、より面白味が増します。

と言っても、顔真卿って書では有名だけど、あまり日本人には人物としてはなじみないような。うだうだ書いても読まれなそうなので。

そこで、切り口を変えて、まずは顔真卿(709年〜785年)の生きた時代背景を判りやすく理解するために、同時代を生きた、誰もが知る超有名人を2名を先に登場させておきます。

 

傾国の美女「楊貴妃」と、詩聖「杜甫」

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世界三大美人の1人にあげられる「楊貴妃(ようきひ)」

誰もが聞いたことのある「国敗れて山河あり・・・」で有名な詩聖「杜甫(とほ)」も、実は顔真卿と同時代を生きた人物です。

 

楊貴妃は、もともと玄宗皇帝の息子の妃として迎え入れられましたが、色々あり父親の玄宗皇帝の皇后となります。

玄宗皇帝は、楊貴妃のあまりの美しさに魅了され、政治はないがしろになりがち。

そこに接近してくるのが、安禄山(あんろくざん)という現在のサマルカンド出身でソクド人と突厥人(トルコ系)の混血の軍人です。

安禄山は楊貴妃と玄宗皇帝に巧みに近づき、2人の信頼を得ます。

皇帝の周囲の要人達は「安禄山は謀反を起こすかも知れない」と度々皇帝に進言しますが、安禄山を信用しきっている皇帝は丸無視。むしろ安禄山を悪く言う者を追い出してしまうほどでした。

そしてついに755年、安禄山が反乱を起こします。

反乱軍の多数は、異民族や朝廷に対し良く思わない者ばかりの寄せ集め。反乱軍による虐殺、略奪、強姦などの残虐な行為が各地でくり返されます。

反乱軍は一挙に唐の副都「洛陽」まで快進撃を続け、安禄山は洛陽で新政府を樹立し自らを大燕皇帝と宣言します。これが世に言う安禄山の乱または安史の乱です。

 

f:id:odekakeiku:20190223112905j:plain「紀泰山銘」唐玄宗筆 726年 紙本墨拓 東京国立博物館(特別展 顔真卿 ここは撮影可。玄宗自ら撰文し書いた隷書の大作。山東省泰山の崖に現存。) 

玄宗皇帝は、迫り来る反乱軍に十分に対抗できず、唐の都、長安を捨て成都へと楊貴妃を連れて逃げます。

その逃走途中、皇帝を惑わせ安禄山の乱を招いた楊貴妃に対する不満が側近や護衛の兵からもでて、楊貴妃とその一族は殺害されます。

 

唐の都、長安陥落。この知らせは遠く日本にまで伝えられるほどの大ニュースでした。

そして、この長安陥落の惨状を目の当たりにしたのが、後に詩聖とまで呼ばれるようになる杜甫です。

当時、朝廷の官職に付いていた杜甫は、反乱軍に捕まり拘束されますが後に脱出して成都へ逃れました。

杜甫は、この長安陥落の感情を、あの有名な詩にして詠みます。

国敗れて山河あり 城春にして草木深し

時に感じては花にも涙をそそぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす

烽火三月に連なり 家書万金にあたる

白頭掻けば更に短く すべてしんに勝へざらんと欲す

「春望」  

烽火(ほうか):のろし、戦火

f:id:odekakeiku:20190221140829j:plain杜甫は戦乱を逃れ、成都に草堂を建て暮らす。杜甫草堂の杜甫像。管理人撮影

顔真卿と杜甫は互いに書を交わしたことがあるようですが、おそらく楊貴妃も含めた三者ともに実際にはあまり接点は無かったと思います。しかし、誰もが知る楊貴妃と杜甫は、顔真卿の生きた時代背景を理解するうえで重要な人物です。

 

さて、安禄山の乱(安史の乱)で、当初より敗戦続きの唐軍でしたが、はじめから反乱軍に対し徹底抗戦しよく守っていたのが平原太守(現在の山東省徳県の地方長官)だった顔真卿と、その一族です。

 

顔真卿<がんしんけい>

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709年長安に生まれる。小さい頃に父を亡くし、子供の頃は家が貧しく衣食に困るほどだったそうです(顔魯公神道碑による)。

 26歳の時、科挙の中でも最難関の進士に及第。この若さで進士及第は、まさにエリート中のエリート。

高級官僚として要職に就きますが、儀礼や高徳を重んじる実直な人柄が周囲から疎まれ左遷を繰り返します。たとえ目上の上司でも徳と礼に反していれば、容赦無く糾弾していたようです。

753年45歳の時に、平原太守(現在の山東省徳県の地方長官)に左遷。

平原太守として赴任すると、安禄山の反乱の予兆をいち早く察知。顔真卿は長雨の備えと偽り城を増強し、密かに食料を確保、戦力となる若者を集めます。

安禄山は使者に平原の様子を探らせますが、顔真卿はその目を欺くため毎日のように宴会をしていたそうです。

そして755年、安禄山の乱(安史の乱)が勃発。

周囲が反乱軍に制圧され唐軍が劣勢になるなか、顔真卿の有事に備えていた軍は反乱軍に徹底抗戦。

やがて反乱軍は鎮圧されて、顔真卿は功績を称えられ唐の都長安に大臣として迎えられますが、また幾度にも妬まれ中央から追い出され左遷をくりかえします。

782年、安史の乱で唐軍として戦った李希烈が、こんどは唐に対し反乱を起こします。「顔真卿ほどの人物なら説得に応じるかもしれない」と、顔真卿を妬んでいた宰相の盧杞は、顔真卿を使者として反乱軍に向かわせようとします。

「一元老を失う」周囲の要人は説得に行くのは危険すぎると宰相盧杞や顔真卿に言いますが、顔真卿は反対を押し切り「これは君命なり」と、あえて策略と知りながら反乱軍の中へ説得に行き捕らえらます。

李希烈は、顔真卿ほどの人物、ぜひ宰相に迎えたいと説得しますが当然拒否されます。殺すと脅しても、火あぶりにすると言っても顔真卿自ら飛び込もうとする有様。顔真卿を幽閉しつつ生かしておくも、やがて殺害されます。享年76歳。

 

出世よりも高徳や礼を重んじ、国のために尽くし、文官でありながらも反乱を未然に察知し、備えを怠らず、有事の際は勇猛果敢に戦闘を指揮。

高級官僚ともなれば特に何をしなくても貢物や賄賂で贅沢三昧できる時代、曲がった事を嫌い思慮に富み、そして書の達人。顔真卿のその人柄が、今でも賄賂や出世欲が蔓延する中華圏の人々に愛されている理由なのかもしれません。

 

祭姪文稿(さいてつぶんこう)

f:id:odekakeiku:20190221170129j:plain顔真卿筆 「祭姪文稿」 現在 台北国立博物院所蔵

 前記の通り、顔真卿は平原で反乱軍に対し勇猛果敢に戦います。

また同様に、顔真卿の一族で常山太守であった 顔杲卿(がんこうけい)とその子、顔季明(がんきめい)も反乱軍に土門で交戦します(祭姪文稿にある「土門を開く」)。

徹底抗戦する顔杲卿軍は、やがれ反乱軍に制圧されました。降伏に応じなかった顔杲卿の目の前で子の顔季明は首をはねられ、顔杲卿も洛陽で惨殺刑に処せられ一族も皆殺しにされたそうです。

 乾元元年(758年)顔真卿は、顔一族を集め安否を確認します。そこに兄、顔季明の首を携えてやってきた顔泉明がやってきます。

非業の死を遂げた甥(祭姪文稿の「姪」は兄弟の子という意味)の顔季明と、その父の顔杲卿を思い、顔真卿は嘆き悲しみ震える手で追悼の文を書きます。これが「祭姪文稿」顔真卿五十歳の時の肉筆の書です。

これは下書きで清書ではありませんが、下書きゆえの感情の激しさが一字一字に表れ、訂正し塗りつぶした箇所にも悲愴感が漂っています。

顔真卿の非常に数少ない肉筆であることだけではなく、これが代々の皇帝をはじめ人々を感動させてきた書であり、戦乱の悲しみを見る者にリアルに物語る貴重な歴史的資料としても、無二の至宝と言われる所以なのかもしれません。

 

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王羲之と顔真卿: 二大書聖のかがやき (別冊太陽 日本のこころ 270)

王羲之と顔真卿: 二大書聖のかがやき (別冊太陽 日本のこころ 270)

 
マンガ 「書」の歴史と名作手本―王羲之と顔真卿 (講談社+α文庫)

マンガ 「書」の歴史と名作手本―王羲之と顔真卿 (講談社+α文庫)