自分の中では、東京大空襲をはじめとする日本各地の空襲、国内唯一の地上戦となった沖縄、原子爆弾が投下された広島・長崎については、小学生の時から誰に言われるでもなく、自分から様々な本を読み、そして可能な限り足を運んできた。
そして原爆の慰霊祭には、いつかは参列したいと思い続けてきた。
今回は平成最後の夏、平成30年8月6日、広島の平和記念式典に参列した個人的な記録です。
式典会場は平和祈念資料館前
朝6時半ごろ、平和記念公園の西にある西平和大橋に到着。
警察官が多数出て、交通規制を開始していた。式典の前後の数時間(道路によっては丸1日)平和記念公園周辺の道路は交通規制が敷かれる。
高齢で足が不自由な参列者がタクシーを降りていた。するとボランティアの方々が車椅子を持ってきて駆け寄り、会場まで介助してくれるという。ところがその男性は丁重にお断りして歩いて行かれた。
被爆者の高齢化が進むなか、さまざまな人々がボランティアとしてこの式典を支えている。
受付は平和大通り側に設置されている。
一般参加は事前申し込み等ではなく、当日そのまま行って先着順で参列できる。
手荷物預かり、式典パンフレット配布、総合(観光)案内まである。
式典の参列者の多くは、被爆された方やその遺族や家族、広島市民だが、観光客も多い。小さな子供を連れた外国のファミリーも数家族お見受けした。
外国人受付もあり、同時通訳レシーバーも配布している。
知事をはじめ、全国の各自治体の首長からメッセージが張り出されていた。
式典パンフレット
受付ではパンフレットが配布されていた。
広島市議会議長の式辞にはじまり、広島市長の「平和宣言」、子供代表による「平和への誓い」など、日本語と英語で記されている。
小さな折り紙と、折り鶴の折り方の説明も同封されている。
他にも式典の日程、「ひろしま平和の歌」の楽譜と歌詞、協力団体一覧などが記載されている。
暑さ対策
真夏の猛暑に加え、被爆者の高齢化もあってか暑さ対策もされている。
参列席には日差しを避けるテントと、ミスト。
入り口付近では、冷水サービスとおしぼりサービス
前後するが、おしぼりは、参列者席にもまわってきた。
自分は最初から、冷水サービスもおしぼりサービスも断っていたが、隣に座られていた背広姿のご老人から「あなたもどうぞ」と、おしぼりを1ついただいた。
参列席
参列席に入る前に荷物検査があり、それが済むと先着順に参列席に座ることができる。
7時にもなると席はほぼ埋まり、入れない人はテントの後方で立ち見となる。
随所に手話通訳者も配置されている。
式典
原爆犠牲者への献水
正式には式典が始まる前だが、献水が行われる。
献水の水は、市内17ヶ所の場所から採水された水。あの日、多くの人が水を求めて亡くなった。
原爆死亡者名簿奉納
平成30年8月6日奉納で、名簿登録者数は合計31万41,18名(名簿冊数115冊)。
放鳩(ほうきゅう)
松井市長の平和宣言のあと鳩が一斉に放たれる。
この鳩は、訓練を積まれたレースバト。テントからでは鳩はあまり見えないが、飛んで行く様子がテントの影となって写る。
内閣総理大臣あいさつ
安倍内閣総理大臣のあいさつ。やじ等が飛びかうと思いきや、あまりなかった(一言くらいは聞こえたかな)。
平和祈念式典を終えて
平和祈念式典は終っても、様々な慰霊碑の前では式典が行われる。
こちらは、動員学徒慰霊塔。あの日、多くの年若き学徒が建物疎開等に従事していた。
式典が行われていない慰霊碑も、いつも以上に多くの人が集まってきている。
号外を出す新聞社も。とくに通常の号外を知らせるような内容ではない。
写真には写さなかったが、様々な思想を持った集団や、宗教団体がいたるところで活動している。
右もいれば左もいる。
警察官の動員数が多いのはそのためだ。重装備をした機動隊も出ていた。
川ぞいには「平和祈念式典挙行中は、お静かにお願いします」という横断幕がとりつけられていた。式典が終わったあとも、静かに犠牲者を追悼したいと思うのは自分だけだろうか。