夢見る旅路

江戸東京発今昔物語

歴史探訪、名所、読書録、カメラ、日用品などの雑記帳、備忘録。

こうの史代原作「夕凪の街 桜の国」の舞台を訪ねて。広島、東京中野

今回は、「この世界の片隅に」で著名なこうの史代さんの代表作の一つ

「夕凪の街 桜の国」の舞台、広島(と東京中野)をめぐります。

 ※原作のコミックをもとに、作中出てくる場所の一部を訪ねています。

 

夕凪の街 桜の国

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

 

こちらは分類でいえば、やはり原爆物。

原爆投下時のその時代ではなく、戦後、原爆症に蝕まれつつも現代と過去の葛藤に生きる女性(皆実)と、その後に続く人々の物語です。

短編ですが、色々と考えさせられ心に深く残る作品です。

また、「この世界の片隅に」と同様に、戦後の広島の風景や物事をこうの先生の独自のタッチで、淡く優しくも鋭く描いています。

 

 皆実の家(原爆スラム跡)

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原爆ドームの北側、太田川沿い1.5kmにかけての基町堤防に「相生通り」と呼ばれるスラム街がありました。原爆で焼け出された人々や地方出身者などがバラックを建て住んでおり、多い時は1000世帯3000人を超える人々が住んでいたそうです。

「夕凪の街」の主人公、平野皆実と母のフジミは、この原爆スラムのバラックに住んでいました。

 

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1970年代に全てのバラックは撤去、その後、堤防は整備され当時の面影は全くありません。

 

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戦前、戦中この辺一帯は広島城あたりまで広大な陸軍用地でした。

そして、この基町堤防のあたりは陸軍病院があった場所です。

 

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現在「廣島陸軍病院原爆慰霊碑」の横に、国土交通省の「基町堤防の経緯」という解説板が設置されていますが、そこにわずかに原爆スラムについてふれられているくらいです。

 

原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)

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「夕凪の街」そして「桜の国」にも度々登場するのが、原爆ドームこと旧広島産業奨励館。

 

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平野皆実の時代には、保存されることはまだ決まっていなく廃墟にすぎませんでした。 当時は悲惨な惨状を思い出すので、早く壊して欲しいという声も多かったそうですが、作者のこうの史代先生曰く、「保存を決めた多くの被爆者の葛藤の末の勇気の象徴として」原爆ドームを描いたそうです。

 

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作中でも、皆実は原爆ドームを見つめながら、原爆で多くの人に対し何もできずに見殺しにしてしまい、自分だけ死なずに生きていることへの罪悪感から、この世に生きていてもいいのかという葛藤に思い悩まされます。

 

平和大橋

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下の西平和大橋と共に、日本人とアメリカ人のハーフイサム・ノグチがデザインした橋で、「昇る太陽」をモチーフとして昭和27年に完成しました。

 

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もともと平和大橋は、「いきる」という名前に決めていたそうですが、この橋が完成した年に志村喬主演の黒澤明監督の映画「生きる」が公開されたため、「つくる」という名前に変更したそうです。

皆実の弟、石川旭はこの橋で太田京花(石川七波の母)にプロポーズします。

2018年現在、平和大橋の横に歩道橋を建設中です。

 

西平和大橋

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こちらも同様に、イサム・ノグチのデザインで、和船をモチーフにしたようです。

もともと「しぬ」という名前を付けていたそうですが「ゆく」という名前に変えています。

 

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そういったわけからか、作中で同僚の打越豊が皆実を引き寄せと抱こうとした時に、皆実は西平和大橋の前身である新大橋の原爆投下時の惨状を思い出し、逃げるように帰ってしまいます。

 

野方配水塔(水の塔)東京都中野区

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広島のみでと思いましたが、こちらは個人的にも思入れのある場所なのでちょこっと。

「桜の国」の前半の舞台は、東京の中野区です。

「桜の国」で度々、背景に水の塔こと「野方配水塔」が登場します。

個人的なことですが自分の祖父母の家の近くから、この野方配水塔の上部のドームの部分だけよく見えていたので、なんとなく形だけですが原爆ドームと同じドームつながりで連想していました。

こうの史代先生も「桜の国」を執筆当時、中野に住まわれていたようです。

 

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野方配水塔は1929年(昭和4年)に完成し、1972年(昭和47年)に廃止されます。

現在は、災害用の給水槽になっているとのこと。高さは33.6mと、現代ではさほど高い建物ではありませんが、周囲が住宅地で高い建物がないためか、意外と色々なところから見えます。

この配水塔も、太平洋戦争時の空襲で機銃掃射を受けた跡が残っています。

 

いわゆる、ちょっとした聖地巡りみたいになってしまったけど、まだまだ書き足りないので、今後、少し加筆したいと思います。

  

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夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

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夕凪の街 桜の国 [DVD]

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呉 すずさんと周作さんが歩いた道。この世界の片隅にを歩く7

今回も、呉観光協会発行の

「まちあるきガイドブック すずさんが暮らした呉」より

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今回は「コース1 すずさんと周作さんが歩いた道」を歩きます。

 

まちあるきガイドでは便宜上、呉駅からスタートしますが、今回は原作とアニメの行程を参考に進めていきます。

※一部まちあるきガイドのコースからは少し外れます。

 

ある日、北條家で家事をしているすずさんのもとに、電話で帳面を軍法会議まで持ってくるようにと知らせが入ります。 

眼鏡橋高架橋

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アニメでは、帳面をもったすずさんが高架橋をくぐって海軍の敷地内に入って行きます。

今では至極当たり前のように鉄道の高架橋を見ることができますが、当時としては鉄道の高架橋はめずらしいものだったようです。

昭和10年に、呉〜広までの鉄道が開通しますが、海軍へと通づるメインの道が、鉄道が横切るために交通が滞るのはよろしくないと、当時としては珍しくあえて高架橋にしたようです。

「この高架橋をくぐると海軍の敷地内」そんな感じがした高架橋だったのかもしれません。

ちなみに「眼鏡橋」とは、鉄道ができるよりも以前にあった海軍へと通じる石橋のことで、今は地中に埋まっているそうです。

 

旧下士官集会所(青山クラブ)

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当時から現存する貴重な建物で、最近まで海上自衛隊が所有していました。
当時は主に、上陸した下士官や水兵が過ごした施設で、中には購買部をはじめ宿泊施設もありました。

 

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一時、解体して駐車場にする案がありましたが、現在所有している呉市は「この世界の片隅に」の映画のヒットもあってか、保存していく意向を表明しています。

 

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左側が旧下士官集会所、右側の緑の多い公園は練兵場跡

アニメ版では、軍法会議を退勤した周作さんがこの坂道をくだって来て、下士官集会場所の前で待っているすずさんと出会います(原作では、すずさんが軍法会議の門の前まで行く)。

 

 

旧鎮守府司令長官官舎〜軍法会議跡

この坂道をあがっていくと左手に・・・

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作中には出てきませんが旧鎮守府司令長官官舎入船山記念館があります。

 

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入船山記念館のすぐ横にある交差点のつきあたりに、旧海軍病院、現在の国立呉病院(呉医療センター)があります。

ちなみにこの階段は、後に、すずさんと晴美さんがのぼった階段。

 

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病院の前の道をすすんでいきます。

 

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病院脇に呉看護学校へと上がって行く坂道があり、道の反対側に、現在海上自衛隊の宿舎があります。

この海自の宿舎が呉鎮守府軍法会議跡のようです。

 

 「すずさんと周作さんが歩いた道」なのに、「すずさんが軍法会議へと行く道」で1記事できそうですが、続けますw

 

すずさんと周作さんが歩いた呉の繁華街

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アニメには小松屋、地球館、喜楽館 といった建物が映し出されていました。どれも実際に呉にあった建物です。現在の中通り「れんがどおり」にあったようです。

小松屋は明治23年創業の洋品店。戦前は洋服よりも肌衣や寝具を中心に海軍に行商していたそうです。現在でもクレアルというショッピングモールの3階で営業されています。

地球館と喜楽館は映画館。水兵さんがたくさん陸にあがっていたので「ここは譲らんとの〜」と周作さんが言って2人は映画を見ることを諦めます。

地球館も喜楽館も廃業されていて建物もありません。

 

小春橋と堺橋

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 すずさんと周作さんが、橋の上で立ち止まって欄干に手をかけて語り合うシーンがあります。その橋が小春橋

上の写真に写っている橋が小春橋で、奥に写っている山が灰ヶ峰です。北條家は灰ヶ峰の麓の方にあるという設定です。

 

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現在の小春橋は、当時のものではありません。

 

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 なんの変哲も無いただの橋です。

 

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小春橋より、1つ下流の方にある橋は、堺橋。

こちらは原作でも後方に描かれています。

 

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堺橋は、往時の姿を残す貴重な橋で、以前は路面電車、市電も走っていました。ちなみに呉の市電は、広島の市電よりも3年ほど古く明治42年に開業していますが、昭和42年に廃止となりました。

 

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普通、堺橋のように現存するいかにも絵になりそうな方を描きそうな感じがしますが、あえて現存しない小春橋を登場させたのは、この作品の奥深いところ。

2人が語り合う重要なシーンが、堺橋ではなく、あえて小春橋にしたのはなぜだろうと思いつつ散歩するのも楽しいものです。

 

 

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この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

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呉 朝日遊郭界隈。道に迷ったすずさんが歩いた道。この世界の片隅にを歩く6

今回は、呉観光協会さん発行の

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「まちあるきガイドブック すずさんが暮らした呉」より

「コース3′ 道に迷ったすずさんが歩いた道」を歩きます。

 

すずさんが砂糖を買った闇市あたり(泉場町界隈)

すずさんが砂糖を水瓶に落としてしまったことで、砂糖を闇市に買いに行くことになります。

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 当時、闇市があったとされるのが、泉場(せんば)町界隈のようです。

 現在は当然、面影は全くありません。

まちあるきガイドではこの辺りからスタートです。

 

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ガイドにも書かれていましたが、当時とは、道も大きく変わってしまっているようです。住宅街をぬけていきます。

 

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ガイドには、「今西通り」という大きな道路を横切るようにガイドラインが示してありますが、道路には中央分離帯があり横切れません。

ありゃぁ〜。どうしたものでしょう???

それとも、すずさん同様に、道を間違えて迷子になってしまったのでしょうか。

ともかく一度迂回して直進します。

 

朝日遊郭跡

f:id:odekakeiku:20180729214827j:plainガイドによると、この界隈から朝日遊郭があったとされるエリアです。

 

f:id:odekakeiku:20180729214830j:plainガイドには呉医師会病院あたりを「リンさんと出会ったあたり」と案内しています。

リンさんのいる二葉館はこの辺りにあったという設定のようです。

当然、往時の街並みは空襲で焼失しているため、遊郭の面影はまったくありません。

 

f:id:odekakeiku:20180729224614j:plain呉医師会病院から 坂を下り、今西通りの交差点の角(クリーニング屋さんあたり)に「郵便局跡」と、まちあるきガイドには記されていました。

作中にも、長ノ木までの道を訪ねるすずさんに

「・・・・・・・・・

長ノ木ならその筋を郵便局まで降りて・・・

ほいで・・・」

こうの史代 この世界の片隅に<中>P21  双葉社

と、リンさんが答える場面があります。その郵便局のようです。

この界隈でガイドの「コース3′ 道に迷ったすずさんが歩いた道」が終わります。

 

朝日遊郭と堺川

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当時の資料によると、朝日遊郭の歓楽街の中を川が流れていたようです。

(明治の地図では遊郭の横に川がながれていたようです。拡張されたのでしょうか)

当然、今も川はそのまま流れています。

この日はひどい雨だったので、翌日、再訪してみました↓

 

朝日橋と東朝日橋

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 川の欄干にも「朝日橋」と書かれた橋を見つけました。

この橋から川をながめていた、おじいさんと挨拶をしたので

「この橋は古いですか?」と聞いてみました。

おじいさん「ほうよ。この辺では1番古いんよ」

自分「戦前からですか?」

おじいさん「さぁ〜、それはどうかね〜」

とのこと。

 

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ガイドにあった「リンさんと出会ったあたり」とされている呉医師会病院の前の橋も、よく見てみれば「ひがしあさひはし」とありました。

これも戦前からあった橋かどうかはわかりません。

当時、西日本有数の花街とまで言われた朝日遊郭。今、その面影を探すのは難しいようです。

 

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この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

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この世界の片隅に

この世界の片隅に

 

すずさん描いた、原爆投下前の広島の風景を訪ねる。この世界の片隅にを歩く5

今回は、「この世界の片隅に」の主人公すずさんが、原爆投下前の広島の街をスケッチした風景を訪ね歩きます。

結婚後1度江波へ里帰りをしたすずさんが、呉へ帰る日の朝、お父ちゃんよりお小遣いを五圓もらいます。そのもらったお小遣いで、すずさんはスケッチブックを1冊購入。広島の街をスケッチしながら広島駅へと向かいます。

 

広島県産業奨励館(原爆ドーム)

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(原作・アニメ版・TBSドラマ版で登場)

現在の原爆ドーム、当時の広島県産業奨励館をスケッチ。

チェコ人の建築家、ヤン・レッツェルによって設計され、1915年に完成しました。当時は広島の物産や美術品を展示したようです。

 

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原爆ドームの前にも、川へ降りる階段、雁木(がんぎ)がありますが、広島は江戸時代より水運が発達した地。市内の川沿いの多くの場所に雁木が作られました。

原爆ドームの場所も、江戸時代は広島藩の御米蔵があった場所。昔から経済の中心だったようです(ブラタモリ広島より)

ブラタモリ 9 平泉 新潟 佐渡 広島 宮島

ブラタモリ 9 平泉 新潟 佐渡 広島 宮島

 

 

f:id:odekakeiku:20190527090629j:plain中島町として広島屈指の賑わいを見せたこの場所も、現在は平和記念公園として整備されています。

そして原爆投下後71年が経った2016年5月27日には、現職のアメリカ合衆国大統領としては史上初めて、オバマ大統領もこの地を訪れました。

 

紙屋町交差点

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(原作・アニメ版に登場)

相生通りと鯉城通りの交差する交通の重要地点。市電も紙屋町から宇品線が分岐します。

f:id:odekakeiku:20190803185143j:plainこちらは、2019年にリニューアルされた広島平和記念資料館の展示より、在りし日の紙屋町交差点。

 現在も、交差点にはそごうやシャレオ、広島バスセンター、すこし北には県庁などもある経済・交通・行政の中心地です。

 

福屋百貨店八丁堀本店

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(アニメ版に登場)

広島の百貨店といえば、福屋。その本店が、ここ八丁堀店です。

なお、原作では広島駅をスケッチするすずさんが描かれていますが、アニメ映画化にあたって改めて調べてみると、当時の広島駅の駅舎正面には大きな木造の出札所が増設されており、それがどんなものだったか資料や写真が乏しく外観を再現するのが難しいことから、広島駅の代わりに福屋百貨店新館にしたとのことです(劇場アニメ公式ガイドブックより)。

 

 

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八丁堀本館は現存する被爆建物です。

戦中、建物は陸軍に接収され、その中で店舗としては小規模で営業していたようです。

原爆投下後は、野戦病院としても使用されていました。

 

胡子町カーブ

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(アニメ映画に登場)

アニメ版で、福屋八丁堀店を描き終えた、すずさんが広島駅へと向かうシーン。

アニメ版には、被爆前の中国新聞社ビルも描かれています。

 

参考図書

「廣島中島本町ロケ地MAP」 発行:広島フィルム・コミッション

「劇場アニメ公式ガイドブック この世界の片隅に」双葉社

「ブラタモリ 9 平泉 新潟 佐渡 広島 宮島」NHK「ブラタモリ」制作班 (監修)   KADOKAWA   

他 

 

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この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 

呉駅〜三ツ蔵〜辰川バス停 この世界の片隅にを歩く4

今回は、「この世界の片隅に」の舞台が呉でよく出てくる「呉駅」「三ツ蔵」、そしてちょっとおまけで「辰川バス停」。

 

呉駅

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現在の呉駅は、1981年(昭和56年)に建てられた4代目。

原作や映画に出てくる駅舎は、1945年(昭和20年)7月2日の呉空襲で全焼してしまいました。当時の駅舎の中には、貴賓室、一等・二等・三等待合室があったようです。

 

三ツ蔵

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原作、アニメ、そして2018年7月からはじまったドラマ版でも度々登場するのが、三ツ蔵(三ッ蔵)こと旧澤原家住宅

すずさんの嫁ぎ先、北条家があるとされる灰ヶ峰の麓と、呉の中心街の間に位置しており、どの作中でも度々登場する、呉のシンボル的な存在です。

 

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江戸時代後期のもので、中国地方を代表する大規模商屋の1つとして重要文化財に指定されています。

 

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裏から見ると、よく見るありがちな蔵の作りではあるけど、品格を感じました。

 

目印は、スーパーの万惣呉東中央店。

呉の観光協会から『この世界の片隅に巡礼ガイド「三ツ蔵」への行き方』という案内が出ていて、バスでの行き方を紹介していますが、呉駅から堺川や中心街を歩きながら行くのがおすすめ。

辰川バス停

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原作とアニメでは、木炭バスが登ってこれなくて、浦野家一行が歩いて登ってくると、ここで周作の叔母で仲人を務める小林さんがお迎えにきています。

すずさんは周作の母だと勘違いして「末永うお世話になります」と挨拶する場面。

 

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ちなみに、ここから上に登った所あたりに、モデルになった家があるとされてますが、聖地巡礼でそれを特定しようという人が多く地域住民の方々の迷惑になっているので、このバス停より上は行くのは避けて欲しいとのことです。

 片渕須直監督も度々つぶやいています↓

 

自分は「聖地巡り」という言葉に違和感があってあまり使っていないけど、人様に迷惑をかけてまで舞台の地を訪ねたいとも思わないので、簡単だけどこの辺で終わりです。

 

参考図書:「図説 呉の歴史」金指正三編著 国書刊行会  他

 

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江波からすずさんの嫁ぎ先の呉へ。呉線他。この世界の片隅にを歩く3

今回は、すずさんのお嫁入りの道中をたどります。

漫画、アニメでもサラッと流れるこの場面ですが、交通関連ネタは意外と現代でも残っているところが多くあり興味深かったのと、2018年7月の豪雨で呉線と呉は大きな被害を受けたので、応援の意味もこめて少し綴っていきます。

 

江波から舟入本町の電停へ

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すずさんの実家は江波。漫画やアニメでは江波山江波の皿山の間あたりに描かれている節があります。写真に見えているのは江波の皿山江波山から撮影)。

おさらいになりますが、この辺一帯はかつては海。江波山も、江波の皿山も島だったようです。江波では戦前、海苔の養殖業が盛んでした。

 

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ちなみに「江波」停留所の裏に見えるのは江波の皿山

昭和19年2月、すずさんがお嫁に行く当時には、まだこの「江波」停留場はありません。

 

舟入本町〜横川新橋〜横川駅

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当時(昭和19年2月)は、江波から4つ目の「舟入本町」が終点だったようです。

周作さんとお父さんの円太郎さんが

「すみません電停はどこですか?」

とすずさんに尋ねるシーンがありますが、その電停とは「舟入本町」でした。

 

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すずさん一行は、この舟入本町の電停から市電に乗って、山陽本線の横川駅と向かいます。

 

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アニメには一瞬、手前に横川橋(当時はアーチ橋)と、奥の横川新橋(↑写真)に市電が走るシーンが映ります。

 

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舟入本町から、広島駅行きがあればそれに乗って行けば、乗り換えも少ないように思えますが、なぜ横川で乗り換えたんでしょうか。謎です。当時は広島行きがなかったのか、たまたま来たのが横川行きだったのか。誰か教えてくださいw

 

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現在の横川駅。

 

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ともあれ、横川駅から山陽本線に乗って、広島駅へ。

 

呉線

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「廣島」駅から呉線に乗り換えます。

「向洋(むかいだな)」「海田市(かいたいち)」「矢野(やの)」「坂(さか)」「小屋浦(こやうら)」と呉線は呉へと向かって行く。

(現在より駅数は少ないです)

 

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アニメ版では小屋浦あたりの車窓が映し出されていました。

アニメ版には、広島方面へ向かう船が描かれているけど、その船も史実通りに航行していた船を描いたようです。

その船の名は大阪汽船の「こがね丸」(当時は、海軍が徴用)。

その日は、呉鎮守府司令長官の野村直邦中将座乗で、大竹に向かっていたとのこと。

徹底的にリアリティを追求(し)す(ぎ)る、本当にすごいアニメです。

 

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ちなみにちょうどこの日も、海上自衛隊の船が航行していました。

艦番号「732」→掃海隊群第101掃海隊(呉基地)所属の掃海艇「ながしま」のようです。

 

アニメでは、この辺りから車掌が憲兵と共に現れ

車掌「これより海側の鎧戸をお閉め願いまーす」と乗客に知らせるシーンがあります。

当時、呉は要塞地帯に指定されていたので、戦中は呉軍港に近づくと鎧戸を閉めさせて直接軍港を見ないようにしていたようです。

 

戦艦大和 目かくし塀

アニメ版では、呉線が走るすぐ横に塀が描かれています。

戦艦大和を見えないようにするための塀だったとも言われています。

 

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今でもその目隠しの塀の痕跡と思われるコンクリートが、車窓からも見てとれました。場所は川原石駅あたり。

 

旧両城トンネル

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当時の呉線と今の呉線はほぼ同じ所を通っていますが、戦後一部変更されてます。

 

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その1つが旧両城トンネル。

 

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明治36年に作られた旧両城トンネルも、昭和45年の呉線の電化にともない、より天井の高いトンネルが必要となり廃線になります。

 

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両城トンネルをぬけると、呉駅はもうすぐです。

 

参考図書

「廣島中島本町ロケ地MAP」 発行:広島フィルム・コミッション

 二つの「この世界の片隅に」マンガ、アニメーションの声と動作 細馬宏通著 青土社

「劇場アニメ公式ガイドブック この世界の片隅に」双葉社   他 

 

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この世界の片隅にを歩く2 江波界隈。海神宮、旧広島地方気象台、江波山他

 今回は、この世界の片隅にを歩くの第2回め。

原作、アニメ版の進行と共にすすめていきます。

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 2回目は、すずさんの幼少期から嫁入り前までの日々から、江波界隈を少し。 

江波山から草津方面を眺める(原作、アニメ版:干上がった海を渡って草津のおばあちゃん家へ)

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江波山から草津方面を撮影

原作(上巻17P〜大潮の頃)、アニメ共に夜満潮のシーンからはじまる。翌朝になると・・・

すず「ゆうべの海こんなじゃったのに。大潮の今朝と来たらこうじゃ」

と言って遠浅の海が干上がっており、お兄ちゃん、すず、すみの三兄弟が草津までお土産のスイカを持って渡るシーン。

現在は埋め立てられており、当時の面影はない。

 

盆灯篭(お墓まいりシーン)

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ここで、ちょっと場所ではないけど広島の盆灯篭について。 

作中で草津の祖母方へ、遅れてすずの両親が到着する。その時に、すずのお父さんの手に持っているのが盆灯篭。おそらく街で買ってきたものだろう。

山を登って墓参りするシーンでも、盆灯篭を持っている。

広島では昔から、お盆に紙でできた灯篭をお墓にお供えする風習がある。

 

はじまりは諸説あるけど、有名な説は・・・

「その昔、広島城下紙屋町の紙屋の娘がなくなり、父親が供養にと石の灯篭を建てたかった。しかしそんなお金もあるはずがなく、しかたなく紙で作った灯篭を建てた」というもの。

お盆時期、広島ではスーパーやコンビニでもこの盆灯篭は販売される。しかし近年はゴミ処理の問題等で紙灯篭も年々減ってきているとか。

 

海神宮(アニメ版:13年2月 海苔を立てかけるシーン)

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「13年2月」とタイトルがあって、次の場面で江波港の海神宮(かいじんぐう)が映る。

 

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海神宮。江波港の入り口に鎮座。海の安全を願って江戸時代に創建された。

現在の社殿は安政7年(1860年)のもの。爆心地から3.36kmの距離にあり。被爆建物。

 

旧広島地方気象台(アニメ版:海苔を立てかけるシーン)

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お兄ちゃん「こづかいまで我慢せーや。お前がえっとラクガキせにゃ すむ話じゃろうが」

と兄、要一がコートを着ながら、鉛筆代をねだるすずに小言を言うシーン。その後ろに見えているのが、江波山気象台こと旧広島地方気象台

 

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昭和9年に建てられ、昭和62年に八丁堀の合同庁舎に移転するまで使われていた。

爆心地から3.63kmの距離にあり爆風を受けて曲がった窓枠や飛散したガラスが突き刺さったままの壁など、今なお被爆の痕跡が残る。

現在は、広島市江波山気象館。全国でも珍しい気象の博物館。

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松下商店(アニメ版:すずとすみが走って登校しているシーン)

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すずさんと妹のすみちゃんが走って登校しているシーンで出てくる角の松下商店

 

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姉妹はこの前を走って登校する。

現在の江波小学校は、江波山の麓(松下商店から南西)にあるが、地元の方がおっしゃるには、当時は現在の児童館あたり(松下商店の北側)にあったらしい。姉妹が走って登校するシーンも正確に再現されているようでした。

 

江波山(水原のために、白いウサギが跳ねる海の絵を描いてあげる)

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江波山を歩きまわっておそらくこの辺かなと思って海の方を見るも、現在は埋立地とビル等の建物に苛まれて、あまり見渡せなかった。

 

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ということで、もう少し高いところならばと、江波気象館の屋上へ上がって撮影。

作中にも描かれている三角山がわずかに見てとれましたが、やはり現在は白いウサギがが跳ねているような白波を見れるような感じでは到底ありません。

 

宇品の転覆事故 

水原「うさぎがよう跳ねよる。正月の転覆事故もこんな海じゃった」

 水原哲のいう転覆事故は、実際にあった事故のようです。

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当時の事件事故を記録した大呉市民史にも

宇品沖惨事

二日午後四時四十分ごろ、江田島汽船みどり丸(十四トン)屠蘇客およそ八十名を乗せ能美島に向う途中、峠島付近で強風をうけ右舷に傾き約五分で沈没、三日正午までに五十一名救助(うち十一名死亡)、同朝呉鎮掃海艇数隻回航、潜水夫を入れ、船体を引き揚げ、船室内から二十一死体を収容、なお九名不明。

大呉市民史昭和篇(中巻一)社会編 昭和十三年〔一月〕 三一九

とあった。この事故で、水原は江田島の海軍兵学校に行っていた兄を失う。

 海軍兵学校に入ることは、東京帝大に入るよりもある意味難しいといわれいた時代。

水原が「親が呑んだくれている家には帰りたくない」と言うように、それだけ優秀な息子を不慮の事故で亡くした両親の喪失感も尋常ではなかったようだ。

 

水原は、すずに新しい鉛筆を差し出す。

水原「兄ちゃんのじゃけ。ようけあるけえ。」

この一言も、優秀な息子に惜しまずたくさんの鉛筆を買い与えていた事が伺える。

 

江波沖の埋め立て 

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 江波山をさまよっていると、廣島工業港魚介藻類慰霊碑を発見。

昭和15年に江波沖76万平方メートルを埋め立てる起工式が行われ、埋没し生命を絶つ魚介藻類へ回向するため建てたとのこと。

ちなみに作中では、白うさぎのスケッチの話が出てくるのは昭和13年の出来事として描かれているので、その2年後には埋め立て事業がはじまる。

 

白うさぎのスケッチから5年後の「昭和18年12月」すずに縁談話が来る。

家に帰り秀作を覗き見た後、すずは江波山で身を隠し

すず「困ったね〜嫌なら断りゃええ言われても嫌かどうかもわからん人じゃったね〜」

 と言って海を見つめている場面では、もうすでに江波沖は埋め立てられていて新しく工場を建設している様子が描かれている。

 

となりの古江、遠くの満州

ちょっと話は前後するけど。

草津の家でお昼を食べているシーンで、箸の持ち方で近くにお嫁に行くか遠くにお嫁に行くかという場面がある。

 

千鶴子(すずの従妹)「おばあちゃんはどっから来んさったん?」

イト(おばあちゃん)「わしゃ古江よ〜ね」

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広電でも古江は、草津の隣。

 すみ「隣の古江から草津でそんとなじゃ、満州やなんかへいっての人は火箸でも足らんね」

 

江波沖の埋め立てで、すずさん一家も海苔を作ることができなくなってしまったように、当時埋め立てで職を失う人が多かった。

資料によると特に江波では満州に開拓に出る人も多くそれゆえ満州へ嫁ぐ人も多かったと思われる。

 

丸子山不動院(アニメ版:草津から家へ船で帰るシーン)

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丸子山不動院(画像右端の山の上お堂)

草津から、縁談のため急ぎ江波の家まで舟に乗せてもらい帰るシーンで、小高い山の上に丸子山不動院が映る。

 

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文化5年(1808年)江波の仲屋幸助という船乗りが豊後国(今の大分県)で、漁師より海中より網にかかったという不動明王をもらい受け、丸子山にお堂を建てて祀る。 

 

江波の皿山(すずさんの実家、浦野家近く)

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江波気象館より江波の皿山(写真中央手前)を写す。

すずさんの実家、浦野家の背後に江波の皿山が写っている。

 

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広電の江波停留場の先、江波車庫と皿山。

アニメ版では皿山の片側が禿山のようになっているが、これは当時ここが陸軍の射撃場になっていたため。戦中は高等女学校の生徒が実弾で訓練していたとの記録もあるとか。原爆投下直後、この射撃場でも多くのご遺体を荼毘に付したそうです。

 

長くなったので、この辺までで。

まだまだ江波は書き足りないので、時間があれば番外編でも書こうかなと思います。

 

参考資料

「この世界の片隅に 上」こうの史代 双葉社

「この世界の片隅に 廣島 昭和8年 中島本町ロケ地MAP」広島フィルム、呉地域フィルムコミッション発行

「この世界の片隅に 劇場アニメ絵コンテ集 」双葉社

「大呉市民史昭和篇(中巻一)社会編」弘中柳三 大呉市民史刊行委員会

「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島市

「目で見る 広島市の100年」郷土出版社
「写真アルバム 広島市の昭和」樹林舎

撮影機器:オリンパスOM-D E-M10 Mark III ,M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 EZ

 

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