今回は、東京海洋大学越中島キャンパスに保存されている明治丸について。
小笠原諸島の日本の領有に貢献した明治丸
江戸時代初頭、小笠原諸島の存在は知った江戸幕府は「ここは日本の領地」という石碑を建ててはいたようですが、特に日本人が定住することもなく無人島のままでした。
小笠原諸島は江戸からおよそ1,000km。幕府も当初は遠すぎる小笠原のこと、あまり関心はなかったようです。
幕末、外国船が度々小笠原にも到来し人を移住させたりするなど、小笠原諸島の領有をめぐって、イギリスやアメリカが領有権を主張、ロシアやドイツなども興味を示してきます。
幕府も危機感を感じ、ジョン万次郎をはじめとする開拓団を派遣。
明治8年、小笠原諸島の領有権問題が再燃した際、英国は横浜の軍艦を至急小笠原に向かわせることを決定。これに対し日本は、軍艦ではなく当時最新鋭で足の速い明治丸を小笠原に向かわせます。
明治丸は1,530馬力、速力約12.66ノット(時速23.5km)。平均速力11.5ノット(時速21.3km)。
英国の艦船とほぼ同時に横浜を出航しましたが、明治丸が2日あまり早く到着。このことが、小笠原諸島の日本の領有に大きく寄与しました。
日本に現存する唯一の鉄船
明治丸は、日本に現存する唯一の鉄船。
鉄船時代の造船技術を伝えるとても貴重な船として、昭和53年に国の重要文化財に指定されました。
明治天皇も乗船したロイヤルシップ
明治丸は当初、灯台巡視船として発注されましたが様々な用途に使われました。
ロイヤルシップとして活躍した明治丸の船内の設備は、惚れ惚れするほど優美です。
御座所(ござしょ・おましどころ)。
明治天皇は度々、明治丸に乗船しており、明治9年の北海道東北の巡幸で、横浜港にお帰りになったのが7月20日。後に、この日を祝日の「海の日」として制定されました。