夢見る旅路

江戸東京発今昔物語

歴史探訪、名所、読書録、カメラ、日用品などの雑記帳、備忘録。

ANA A321neo 搭乗体験記。出張、旅行中のスマホの電池切れ問題、今後飛行機利用時は解消されるかも。

出張中や旅行中のスマホの電源切れは、どなたにも経験あるはず。

出先でこそ威力を発揮するスマホやタブレット。

でもそれだけ電池の消費量も増大するのは必定。

新幹線等では以前より充電用のコンセントがついていましたが、飛行機でもいわゆるエコノミークラスにも充電できる機種(飛行機の)が出て来ました。

 

空港の待合室でも充電できる

 

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最近は、飛行機の搭乗口にも「CHARGE」の席ができました。

平日の朝や夕方の出張族のラッシュ時は、この席から埋まることも。

 

ANA A321neo

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今回は朝一の、広島行きANA671便へ搭乗です。

この便は何度乗っただろう。でもA321に乗るのは初。

 

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ANA WiFiサービス。実際は通信速度も安定せずあまりまだ使えないのですが、やっぱりあると利用してしまいます。

 

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以前、ANAではA321を就航させていたけど、いったん廃止となり、2016年に再び登場。

 

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そして2017年から就航しているA321neoは、普通席にも液晶モニターを完備。

 

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 そして液晶画面の下部にはUSBが設置されいます。ケーブルを持っていれば充電できます。

搭乗時iPhoneのバッテリーがもう30%ほどまで落ちていましたが、広島到着時には90パーセントまで回復していました。これは大きいです。w

 

 

ただいま加筆編集中。

浅草三社祭 見所はお神輿だけじゃない 大行列と、チベット起源といわれる田楽「びんざさら舞」

三社祭の見所

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浅草、三社祭といえば威勢のいいお神輿!ですが・・・

初日に行われる大行列と、チベットが起源と説がある田楽「びんざさら舞」も外せません。

 

大行列

初日に行われるのが、浅草を練り歩く大行列

2018年は、西回りのルート。

浅草組合を出て、千束通り言問通りを渡り、ひさご通り浅草六区ブロードウェイを経て、雷門通りから雷門をくぐって、仲見世を通り、浅草寺、浅草神社へと行きます。

 

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先頭は、「浅草あやめ連」のお囃子屋台

 

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江戸の祭りにかかせない鳶頭木遣り

「ぃよぉ〜〜〜〜お〜〜〜〜」。木遣りを聞くと気分が高まります。 

 

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鳶頭木遣りの後ろを神職が続きます。

 

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前でひらひらするのは「東京都指定無形文化財 浅草神社神事 びんざさら」

 

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このあと浅草神社の拝殿と神楽殿で、びんざさら舞の奉納があります。

 

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白鷺の舞

 

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他にも行列は芸者衆、神社総代、町役員の旦那衆と続きます。よく見ると、巾着だけでなく、帯にも「三社」の文字。粋ですねぇ。

 

白鷺の舞

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 白鷺の舞は、4月と11月、そして5月の三社祭の時に見られるようです。

 

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浅草寺の慶安縁起絵巻に描かれていたものを、昭和に入ってから再興した舞です。 

 

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白鷺さんたちだけではありませんが、雷門、浅草寺本堂などで、みなさんちゃんと一礼をして入って行きますが、白鷺さんの一礼は可愛く思えます。

 

東京都指定無形文化財 浅草神社神事 びんざさら

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びんざさら舞は、三社祭の時しか見ることができない貴重なものです。 

 

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いただいた資料によると、びんざさらは、田楽の楽器の一種で、起源はチベットだそうです。

「ビンザ・サラ」はチベット語で「振り動かすと音を出す木」という意味だとか。

 

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五穀豊穣の田楽の舞は、今では東京に残る数少ない神事の一つだとか。 

 

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見所は、紙吹雪。これは種まきをあらわしているようです。

 

 

www.tabijiphoto.com

 

現代の東京の基盤にもなった松平定信の寛政の改革「七分積金」と養育院。谷中 大雄寺

 

新橋竹川町 高田屋綱五郎せがれ白吉、家主田兵、五人組付き添い一同控えたる。

恐れながら町役(町役人)より申し上げます。五人組付き添い一同控えましてございます。

三遊亭圓生(6代目)「佐々木政談」

  

六代目三遊亭圓生 その11

六代目三遊亭圓生 その11

 

 

江戸の町役人の仕事

住民自治が発達していた江戸では、各町々の町役人(身分は町人の名主・地主)が些細な揉め事や訴訟を解決・和解させていた。町役人の裁量を超える案件や、刑事事件となると町奉行所へ出頭となるのだが、町役人は出頭者の付き添いもする。

 

町役人の仕事は多岐にわたる。戸籍調査、御触書・申し渡しの伝達、治安維持、消防・防火対策、水道や道路などの簡単な補修、祭礼の金品奉納、落し物の処理など様々。

それらの経費は、町役人の所有する店舗賃料や家賃などから捻出していたようだ。

 

松平定信による七分積金

時の老中松平定信は、寛政の改革の中の1つに、町役人の仕事を簡素化し、かかる経費を削減させた(賃料、家賃も下げさせた)。

削減した経費のうち、一分は町内臨時費用に、二分は地主の増収に、そして七分を非常時の積立金とする「七分積金」という積立制度をつくる。

 

経費削減の内容の一部を見ると、町火消しの纏(まとい)を組合毎に一本に制限するというようなものから、奉行所等への届書きの簡素化や用紙の節約、用紙の質までも落とすようになど細部にわたる。

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町火消しの纏(まとい) 四谷消防博物館

 

そうこうして削減された経費の中から積立られた額は、江戸市中全体で年間約二万六千両。設立時には、幕府からも一万両が拠出されている。

その積立金は、主に貧困対策や災害や飢饉での救済活動にあてられた他、復興事業等の低利融資など非常時の江戸庶民の暮らしのために利用された。

 

積立制度は幕末まで続くのだが、この積立金はあくまでも江戸庶民のためであるという理由から、幕府は幕末の逼迫した財政難や混乱のなかでも一指も触れずに存続させた点は、大変立派という他ない。明治維新当時には、この積立額が百七十万両にも達していたという。

 

 この七分積立金に処分について、明治新政府も財政難で、上野に立て籠もった彰義隊の討伐にすら軍資金がなかったほどで、その後の東北の賊軍討伐のための軍資金にもあてたいだろうし様々な用途に使いたかったに違いなく、旧幕府側と新政府側で様々なやりとりがあったとされる。

 

養育院の設立

多くの企業の設立に関わり「資本主義の父」とも言われた渋沢栄一は、当時、七分積金を管理する立場にあった。

渋沢栄一は、積立金の百七十万両のうちの一部から、維新後急増した困窮者、無宿者や孤児をはじめ、障害者を保護する施設して養育院を作る。江戸庶民の積立金の本来の目的とする意思を引き継ぐ形となった。

 

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渋沢栄一 近世名士写真其2 国立国会図書館

 

養育院は、はじめ本郷の加賀藩邸跡地に作られ、以後移転を繰り返し、現在の板橋に落ち着く。

渋沢栄一は養育院の初代院長となり、亡くなるまでの50年あまりを院長として勤める。当時は養育院への理解が得られず何度も廃止の危機にさらされるが、渋沢栄一は養育院の必要性を訴え続け存続させ、それが今日、板橋にある独立行政法人東京都健康長寿医療センターの設立へとつながる。

 

谷中 大雄寺の「養育院義葬の冡」

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谷中の、連日行列のできる喫茶店、カヤバ珈琲のすぐとなりに大雄寺がある。

 

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境内には樹齢300年とも言われる大きな楠と、その下には幕末の三舟の1人、槍の名手であった高橋泥舟の墓があり、詣でる人も少なくない。

(幕末の三舟:勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟)

 

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その大きな楠と高橋泥舟の暮石の裏に、ひっそりと「養育院義葬の冡」が立つ。

大雄寺は養育院設立時、養育院で亡くなった方のうち引き取り手のない遺骨の埋葬と回向を引き受けていた。

大雄寺以外にも、同様の墓は、同じく谷中の了院寺、栃木県那須塩原の妙雲寺、府中の多磨霊園にもあるという。

 

現代の東京に通づる七分積金

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明治政府から東京府と東京市に接収され七分積金は、養育院以外にも学校や役場の建設、水道の施設、築地の埋め立て、銀座の道路整備から墓地の開拓事業まで、都市整備の費用に充てられた。

本来は新政府が負担するようなものにも、この七分積金が利用されてしまった節もあるが、現代の東京の基礎の一部は、江戸庶民が倹約して積立てた「七分積金」より成り立っていると言っても過言ではないかもしれない。

 

 

参考図書:

  • 「徳川制度(上)」加藤貴校注 岩波文庫
  • 「江戸の町役人」吉原健一郎著 吉川弘文館
  • 東京都史紀要第八「七分積金始末」東京都総務局文書課昭和二十六年二月発行 

 

王子稲荷神社 火事よけの凧を買いにに凧市を訪ねて。2018年の初午は2月7日と19日

今回は、2月の初午の日に王子稲荷で開催される凧市について。

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初午の日は、王子稲荷の凧市

初午(はつうま)は、京都伏見稲荷の稲荷大神が降り立ったとされる日で稲荷神の縁日。

幾多の大火に見舞われた江戸時代、風が大火につながることから(凧は風をきって揚がることから)凧を「火防の凧」(ひぶせのたこ)として火災よけのお守りとし、毎年2月の午の日の縁日に王子稲荷で凧市が開かれるようになったそうです。

 

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2018年の初午は、2月7日(水)、二の午は2月19日(月)。

 

参道は歩行者専用道路に

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王子駅から続く参道は、2月の午の日は歩行者専用道路になり、多くの露店が立ち並びます。

 

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くずもちで有名な石鍋商店も行列ができていました。

www.odekakeiku.com

 

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王子稲荷神社

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いなり幼稚園があるため、普段の平日は閉ざされていますが、凧市の日は正門から入ることができます。

 

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階段で立ち止まって待つのは危険なので、拝殿まで案内されるまで少々時間がかかりました。

 

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参拝も、この日は一方通行

 

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王子稲荷で授与される火防、災難除けの火防凧は1,500円

 

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火防凧や火防守りなどを、多くの参拝客はいただいていました。

 

柴田是真作 額面著色鬼女図の公開

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東京都北区教育委員会の解説板より

王子稲荷には、柴田是真作の額面著色鬼女図の絵馬が奉納されており、2月の初午、ニノ午の日に公開しています。

平安時代、京の都を荒らした鬼、茨木童子を、源頼光の家臣渡辺綱が腕を切り落とします。後日、渡辺綱の伯母に化けた茨木童子は、その切り落とされた腕を取り返しに来て去っていく様子を描いたものです。

柴田是真(1807〜1891)といえば、特に海外で人気の高い蒔絵師・日本画家ですが、この鬼女の絵が人々を慄然させ、是真が有名になる契機になったそうです。

 

凧市

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拝殿の横には、凧を扱う露店が立ち並びます。

 

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木版奴や手書きの凧など、大小様々

 

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こちらは干支凧

 

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職人さんが、ひとつひとつ手書きした凧が並びます。

 

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「一生の御守りでございます!」と威勢のいい掛け声をかけられ、いろいろと説明をしてくれました。

 

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初午の日は、稲荷ずしを食べる風習から、稲荷ずしのお店も出ていました。

 

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帰り道、露店が立ち並ぶ参道を戻ると

 

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消防庁の方が、露店の防火対策をひとつひとつチェックして周っていました。

防火の凧市で火事を出したらシャレになりませんしね。

 

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2018年の午の日は、初午祭2月7日(水)と、二午祭2月19日(月)

火事よけの「火防の凧」をもとめに、お出かけされてみてはいかがでしょうか。

 

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北綾瀬 拡大する駅 東京の盲腸線を行く1

今回は東京の盲腸線の1つ、東京メトロ千代田線の綾瀬〜北綾瀬間を行きます。

注:鉄道に全くの素人の目線で書いています

 

盲腸線

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盲腸線はなくてもいい、赤字路線という意味あいもあるようですが、このサイトでの盲腸線の定義は、本線、幹線より外れて1駅や数駅だけ短距離伸びる路線とします。

綾瀬〜北綾瀬間は、約2.1キロ。

足立区内には他にも、東武の大師線も盲腸線です。

 

綾瀬駅

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東京メトロ千代田線の終着駅「綾瀬駅」

 

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本線とは別の、北綾瀬行き専用ホーム0番線より出発します。

 

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0番線ホーム。

北綾瀬行きは3両編成。短いホームです。ちゃんとホームドアもあり。

 

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綾瀬駅はC19、北綾瀬駅はC20。

北綾瀬線というような名前はなく、あくまでも「千代田線北綾瀬行き」のようです。

 

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北綾瀬行きの電車は、3両編成のワンマン運転。車両も本線の千代田線とは異なります。

 

綾瀬駅〜北綾瀬駅

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車内の液晶表示も、ちゃんと3両編成。

 

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綾瀬駅0番線を出発。左端に、千代田線直通のJR常磐線各駅電車。

その横に退避線。

北綾瀬行きの右側は、JR常磐線快速電車。

 

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東京メトロの路線ですが、綾瀬〜北綾瀬間は、地上を走行。

途中まで、レールが3つ。

 

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盲腸線だけど複線。途中で待避線(左端)が終わります。

 

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途中で、綾瀬行きとすれ違いました。

 

 

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北綾瀬までは、2キロほどですが、のろのろと4分ほどかけて到着。

なお、この先は東京メトロの綾瀬車両基地。

車両の整備、点検、清掃をしているそうです。

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10両編成の車両が延長運転、北綾瀬駅終点になる予定

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なお北綾瀬駅に近づくと、ホームを延長工事していました。

近々、10両編成対応のホームに延長され、現在綾瀬行きの一部が延長して北綾瀬行きまで伸びるようです。

 

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今後、北綾瀬始発で代々木上原まで延長運転されれば

  • 北千住まで7分
  • 西日暮里まで13分
  • 新御茶ノ水まで21分
  • 大手町まで23分
  • 日比谷まで26分
  • 霞ヶ関まで29分
  • 赤坂まで32分
  • 表参道まで36分
  • 明治神宮前(原宿)まで38分

直通運転されれば、都心までのアクセスはかなり良いですね。

 

(加筆編集中)

浅草鷲神社と長國寺の酉の市。吉原のおとりさま。酉の日について。「三の酉」まである年は火事が多い?

浅草鷲神社酉の市について

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酉の市 

此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじく 「たけくらべ」

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出典:現代日本文学全集 第9篇「樋口一葉照影(明治二十八年)」国立国会図書館

 下谷竜泉寺町に住んでいた樋口一葉は、名作「たけくらべ」の中で、鷲神社の酉の市の賑わいについて、こう書いている。

 一葉の住んでいた下谷竜泉寺町と、「酉の市」が開催される鷲神社はすぐ目と鼻の先。

現在、鷲神社の近くに「一葉記念館」もある。

 

もともとは、葛西花又村(現在の足立区花畑)にある鷲大明神がはじまりとされていて、農具市で売られていた熊手が、福をかき込むめでたい縁起物となって広まったと言われている。

 

吉原のおとりさま

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 江戸切絵図 今戸箕輪浅草絵図(抜粋) 尾張屋版 国立国会図書館

鷲神社(鷲明神)は、吉原のすぐ隣で「吉原のおとりさま」とも云われた。吉原も「酉の市」の日に限っては門を開放した。

 

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浅草の「酉の市」というと鷲神社が有名だが、隣接する長國寺でも開催されている。

そもそも、この2つの寺社は江戸時代までは神仏混淆で一緒に運営されていたが、明治の「神仏分離令」で分離されてしまった。別当とは僧侶が神主を兼ねる僧職のこと。

切絵図も「鷲明神」と「長國寺」が同一敷地として記されている。

 

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名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣 広重 国立国会図書館

広重の有名な名所江戸百景「浅草田甫酉の町詣」に描かれている猫は、吉原の遊郭から、酉の市(当時は酉の町と云われていた)を眺めている様子を描いている。

 

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よく見ると、熊手をもった参拝客の長蛇の列が見える。

 

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江戸自慢三十六興 酉の丁銘物くまで 広重 豊国  国立国会図書館

 

酉の市では、「熊手ミュージアム」という展示があり江戸時代の熊手を再現している。

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今の熊手ほど、豪華絢爛なわけではなかったようです。

 

酉の日

酉の市は、毎年11月の酉の日に行われる。

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年に酉年があるように、月や日、時間にも酉が12回に1回やってくる。

当然、月初めに酉の日がくれば、その月は酉の日が3日ある。

 

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今年、平成29年(2017年)の11月は、最初の酉の日が11月6日に来たので、11月に酉の日が3日あり、酉の市が3回開催される。

 

最初の酉の市を「一の酉」、2回目を「二の酉」、3回目を「三の酉」と呼び、「三の酉」まである年は、火事が多いとか。

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「三の酉」の年にあたる年は、災難を払う「火除護り」が授与される。

 

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もう1つ、12年に1度の酉年だけに「勝幟守(しょうしまもり)」が授与される。

各市2,000体、合計6000体の限定で、時間を分けて番号札と整理券が配れるほどの大盛況。

 

ちなみに2016年の統計データによると、過去10年で一番火災が多かった年は2007年(「二の酉」まで)の5万4852件だったが、火災で最も多く死者数を出した2006年は「三の酉」まである年だった。

 

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「なんの酉」の年であれ、ちょうど乾燥しやすい季節に入る頃、火の元と風邪、インフルエザンには気をつけたいですね。